ジャンルも国境も超えたクリエイター・静電場朔さん 日本のポップカルチャーに魅せられて

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   1970年代に活躍したバンド「ティン・パン・アレー」。細野晴臣さんや松任谷正隆さんら、日本の音楽シーンに大きな影響を与えたミュージシャンが在籍していた。

   細野さん作詞作曲の「イエロー・マジック・カーニバル」を2019年2月、ひとりの女性がカバー、リリースした。ポップなメロディーをキュートに歌い上げたのは、音楽ユニット「Question Children(問題児)」の静電場朔(セイデンバ・サク)さん。北京出身のマルチクリエイターとして、日本と中国で活動している。

  • 日中を行き来しながら活動する静電場朔さん (c) 大宇宙釀
    日中を行き来しながら活動する静電場朔さん (c) 大宇宙釀
  • 作品制作中の様子 (c) 大宇宙釀
    作品制作中の様子 (c) 大宇宙釀
  • 日中を行き来しながら活動する静電場朔さん (c) 大宇宙釀
  • 作品制作中の様子 (c) 大宇宙釀

1980年代の日本の音楽、映画、アニメに関心

   絵画にイラスト、ファッションに音楽――ひと口に「クリエイター」と言っても、静電場朔さんの活動範囲は広い。使用言語も中国語に日本語、英語と多様だ。

   中学生の頃、「大好きな先生に日本語を教わりました。仲の良い友達と一緒に習ったので、勉強のスピードは速かったです」。彼女の目には、かな文字のデザインが魅力的に映った。高校時代には、寺山修司の映画や演劇と出会った。激しいスタイル、印象的なビジュアルや言葉遣い、作品に込められた哲学に触れ「こういう表現方法があるのか」と衝撃を受けた。

   1980年代の日本の音楽、映画、そしてアニメと多様なポップカルチャーに関心を寄せた。だから、中国伝媒大学でアニメーションを学び、絵画やアニメ、キャラクターのデザインを手掛けていても、卒業後に日本の大学院に留学するのも大きな決断というよりは「自然だった」と振り返る。

   2012年、デジタルハリウッド大学院(東京)に入学し、創作活動のかたわらデジタルコンンテンツを専攻した。つくり上げた作品の価値を高めるために、ブランディングの方法や、著作権をはじめ法律の知識を身につけたいと考えたのだ。

「日本では、誰でも知っているようなヒット作が多く生まれています。その仕組みがどうなっているかを学びたいと思いました」

   静電場朔さんは、そう話す。

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