現在でも単独で演奏される「序曲」
そんなバッハの復活上演を行った20歳の時、彼は、英国のG.スマート卿とフィルハーモニック・ソサエティの招待を受け、イングランドに渡りました。そして、北部のスコットランドまで足を延ばし、のちに交響曲第3番「スコットランド」となる作品の構想を練っていましたが、スタファ島のフィンガルの洞窟を訪ねた時、彼の頭には、ある旋律が浮かんだのです。姉であり優秀な音楽家でもあったファニー・メンデルスゾーンに手紙を出し、「ヘブリディーズ群島が、どんなに私に霊感を与えたか、証拠を送ります。この旋律です」と書き送っているのです。
21歳の12月にこの作品を完成させたメンデルスゾーンは、当初この作品に「孤独の島」という題名を付けましたが、後に楽譜を改定した時に、「ヘブリディーズ諸島」という名前に変え、同時に、指揮者が使う総譜には「フィンガルの洞窟」とも追加で記したため、現在でも、2つの題名で呼ばれています。
フィンガルの洞窟は「演奏会用序曲」となっています。通常、序曲とは、オペラの前などに演奏される管弦楽のみの曲で、オペラの内容を音楽的に描写するものなどに使われますが、この曲は単独で独立した作品であり、「夏の世の夢序曲」のように、後から他の作品も付け加えて一つの劇音楽組曲となることもなく、現在でも単独で演奏される「序曲」となっています。
メンデルスゾーンは、まごうことなき音楽の天才で、恵まれた音楽環境のものと、彼の先人たちの偉大な音楽遺産をくまなく吸収していました。作曲技法にも精通していたため、彼の作品は、どことなく「整いすぎていて、面白みに欠ける」という批判を受けることもありますし、ユダヤ系だったということで、後の時代のワーグナーなどに人種差別的批判をされたこともあり、不当に評価されている側面もあります。現在でも、広く知られた名前の割には、演奏機会の少ない作曲家であり・・・夭折しましたが、作品数は決して少ないものではありません・・・同世代のビッグネーム、ショパン、シューマン、リストに比べても少し影が薄いことは否めません。
しかし、そんなメンデルスゾーンの作品中でも、「フィンガルの洞窟」は、ひときわ魅力的な曲であり、事実、彼の代表曲の1つとして、ヴァイオリン協奏曲などとともに、人々に愛聴されています。それは、どちらかというと「聡明すぎて羽目を外したがらない」メンデルスゾーンが、自然の驚異であるフィンガルの洞窟にあまりにも感動したため、普段の殻を破ってダイナミックな曲を生み出したから・・・という解釈も成り立つかと思います。
冒頭のプジョーのCMでは、「メンデルスゾーンにインスピレーションを与えた風景を探しに行く。」という内容で、全編に「フィンガルの洞窟」が流れ、原曲をフィーチャーした、新しい音楽を作るというプチストーリーなのですが、作曲家にインスピレーションと感動を与えた「旅の風景」と、メンデルスゾーンの音楽を聴いていると、見ている私たちも、あたかもその旅を追体験しているかのような気分になります。
夏の旅行シーズンに聞きたい、ロマン派の名曲です。
本田聖嗣