西郷隆盛も感染した風土病   
日韓で征圧した歴史を探求

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当時の研究者や患者から話を聞く

   日本列島や琉球諸島で流行したのは、バンクロフト糸状虫。済州島の寄生虫は、マレー糸状虫だった。ただ、いずれのリンパ系フィラリアにもDECが効果的であることはわかっていた。

   徐教授が、片峰教授に連絡を取り、長崎大学とソウル大学がリンパ系フィラリア征圧を目的にしたジョイントプログラムを組むことになった。それは1970年のことだった。

   だが、日本の植民地支配から解放され、25年しか経っていない。しかも1948年に大韓民国が樹立される4か月前、米軍政庁下で起こった4・3事件で軍警察と右翼勢力によって2万5000人~3万人の住民が殺戮(さつりく)される凄惨な事件が起きている。

   そうした悲惨な歴史を経験した済州島で、治療途中に緊迫した場面があったという。

   「済州島の人々にDECを使ったときに出た発熱です。薬の副作用なのですが、どうやら『日本人に毒を飲まされた・・』というシリアスな反応もあったようです。そのあたりは歴史的に敏感な問題なので、慎重に調査をしていきたいと思っています」

   「感染症アーカイブズ」としての飯島の調査は、長崎と韓国の双方で実施する。1970年に片峰大助と一緒に治療に携わった研究者も参加するという。当時、鹿児島大学の助教授だった多田功九州大学名誉教授。大学院生だった青木克己長崎大学名誉教授。両人には、どのような医療作業が行われたかを具体的に聴き取りをして、なおかつ長崎の調査やソウル大学における調査にも同行してもらう。

   長崎大学熱帯医学研究所熱帯医学ミュージアムに、各地のリンパ系フィラリア征圧に関係する一次資料が残っており、患者だった人たちにもインタビューする予定だ。

   「長崎での治療から50年以上たっています。当時、治療を受けた人は高齢になっているケースが多い。話を聞ける最後のチャンスになるかもしれないので、今回の調査は貴重なものになると思っています」

   リンパ系フィラリアは、薬によってかなり征圧が進んだと言われているが、いまもニューギニア、アフリカなどに一定数の患者がいるという。そもそも薬を飲んだことのない地域の人々に、日本で行ったような確実に服用する環境をいかに整えるかである。

   「文化の違いもあるので、それぞれの国・地域なりの対応を工夫しなければならないけれども、征圧事例を整理し、何が必要かを明確にしておけば応用がきくと考えています」

   飯島によれば、かつて日本は感染症・寄生虫病対策のリーダーシップを取る姿勢を世界に示した時があったという。その中心人物は橋本龍太郎元首相で、1998年のバーミンガムサミットで、「20世紀にさまざまな寄生虫病を克服した日本が、その経験を生かして世界で寄生虫対策のために積極的な役割を果たすことを約束する」と宣言した。

   これは「橋本イニシアティブ」といわれ、世界のいくつかの場所に研究拠点を設けた。

   「済州島のリンパ系フィラリア征圧に関して、これまで日本が蓄積してきた知見は他の地域の感染症対策や寄生虫対策にも生かされただろう」と、飯島はみている。

   公益財団法人韓昌祐・哲文化財団からの助成によって調査研究を開始する「感染症アーカイブズ」の調査プロジェクトは、1970年代に日韓の医師がいかに協力して済州島の風土病を征圧したか、という貴重な歴史を掘り起こすだけでなく、世界の感染症対策のために価値ある資料を提供するに違いない。 (敬称略)

(ノンフィクションライター 西所 正道)

公益財団法人韓昌祐・哲文化財団のプロフィール

1990年、日本と韓国の将来を見据え、日韓の友好関係を促進する目的で(株)マルハン代表取締役会長の韓昌祐(ハンチャンウ)氏が前身の(財)韓国文化研究振興財団を設立、理事長に就任した。その後、助成対象分野を広げるために2005年に(財)韓哲(ハンテツ)文化財団に名称を変更。2012年、内閣府から公益財団法人の認定をうけ、公益財団法人韓昌祐・哲(ハンチャンウ・テツ)文化財団に移行した。

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