米が開発した特効薬を服用
ところで、長崎でのリンパ系フィラリア征圧はどのように成功をおさめたのだろうか。
当時の厚生省は、1962年からリンパ系フィラリアが流行する地域で発生の実態調査をしている。鹿児島、長崎、熊本、宮崎、大分、高知の各県と東京都伊豆諸島だが、長崎県では血液検査をした20万2941人中2660人が陽性反応を示した。
それに対して長崎大学風土病研究所(のちの熱帯医学研究所)が手掛けた、西彼杵(にしそのぎ)郡大瀬戸町松島(現・西海市)における対策が興味深い。
対策の指揮を執ったのは、片峰大助。長崎大学風土病研究所教授である。陸軍軍医中尉として中国大陸に駐屯した経験があり、中国・浙江省(せっこうしょう)でリンパ系フィラリアに接したことがその後の研究につながった。
征圧のキーになったのは、ジエチルカルバマジン(以下DEC)という駆虫薬だった。戦後すぐに米国で開発された特効薬である。ただ当時、日本人の大勢の患者に、どのように服用させるかという方法が確立されていなかった。
「まず、薬の服用量です。日々の服用量とトータルの服用量、そして服用頻度。飲ませ方も肝心です。患者さん一人一人に手渡して、飲んでおいて下さいといっても飲まないことや、飲み忘れるという可能性があります。感染症治療の場合、こうしたことは避けなければなりません」
決められた量のDECを、地域によって飲ませる条件を変え、効果を比較した。「毎日連続30日間」、「3日ごとに30日間」、「週1回を10週間」の3パターン。このうち「3日ごとに30日間」の服用が、もっとも良い効果をもたらすことがわかった。
飲ませ方にも工夫が加えられた。必ず服用したことが確認できるようにするため、地元の婦人会が協力したのである。公民館や集落の組長の家に集まってもらい、決まった時間に服用したのだ。
さらに血液検査で陽性反応が出た人だけでなく、陰性反応が出た人(満5歳以上)に対しても、予防的にDECを一定量投与した。こうした取り組みが、リンパ系フィラリア拡大の抑制に役立ったのは重要な点である。
こうして長崎のリンパ系フィラリア征圧は成功した。その事例に強い関心をもつ研究者が韓国にいた。ソウル大学の徐(ソ)ビョンソル教授である。1960年代後半、済州島などでリンパ系フィラリアが流行していた。