当初は「作曲者不詳」として発表されたが...
1925年、ソビエト(旧ソ連)に生まれたウラディミール・ヴァヴィロフは、サンクトペテルブルク(当時はレニングラード)音楽院に学んだギタリスト・リュート奏者でした。西側と接触が少なかったソビエト時代に、彼は、楽譜校訂者としてソビエトで古い時代の音楽の復興にも力を入れました。ギターやリュートは歴史が古い楽器で、音が小さいために近代的なオーケストラには滅多に参加しませんが、バロック時代には重要なアンサンブル楽器として、さまざまな室内楽で活躍したのです。ヴィヴァルディや、J.S.バッハもリュート作品を残していることから、それがうかがえます。
演奏家、楽譜校訂者であるだけなら問題がなかったのですが、ヴァヴィロフは作曲も学んでいました。作曲家としての腕を発揮したくなってしまったところから、話はややこしくなります。彼がギタリストとして演奏したアルバムの中には、「様々な作曲家のオムニバス作品集、という体裁になっているが、実は1曲を除いてすべてヴァヴィロフ自身の作品」というものさえ存在したのです。おそらく、作曲家としての腕にあまり自信がなく、もちろん名前もないし、一方で古楽の研究者だったため、バロックやルネサンス作品に偽装してしまえばばれることが少ないだろう・・・とでも考えたのでしょう。「古い時代の未発表の楽譜を発見した!」という方法は、クライスラーも使った手です。
「カッチーニのアヴェ・マリア」も当初は「作曲者不詳」として発表されたのですが、ひょんなことからカッチーニの名前が出てしまい、おそらく、ヴァヴィロフもそれを利用して否定しなかったため、すっかり「カッチーニのアヴェ・マリア」としてソビエト国内で流通するようになり、その後、世界に広がってしまったのです。
そして、彼は、真相を明かすことなく、1973年に亡くなってしまうのです。まだまだソビエトがロシアになり、広く世界に国内の情報が流通する時代までは間がありました。