「女子アナ」という差別 小島慶子さんから同性キャスターへのエール

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   上記コラムを載せた週プレと同じ日に出た週刊ポスト(7月12日号)が、タイミング良くというか悪くというか、「各局女子アナ『人気とおっぱい』の相関関係~その谷間には葛藤が隠れている」という記事を見開きで書いていた。飛んで火に入るなんとやら。

   登場するベテランテレビマンによると、女子アナという存在が確立した80年代初めには知性やアナウンス技術が重視されたが、90年代にアイドル化が進み、主戦場は報道からバラエティーに移る。容貌が「武器」になる代わり、女子アナ30歳定年説が広まった。

   当の女性アナたちは、見てくれで売れると賞味期限が縮むと気づき、以後「巨乳をひた隠しにしようとする時代」が長く続いたのだという。最近は事情がまた変わって、「巨乳アナ」たちが各局の看板番組を背負い、胸元を強調した衣装で登場しているそうだ。

   キャリア形成に悩む女性に寄り添うふりをしながら、「隠れ巨乳」を実名で列挙しているあたり、いわばポスト伝統の、おやじ目線の記事といえる。小島さんが「時代遅れ」と指弾するのは、まさにこの切り口だろう。

   こうした主張を、「おやじ予備軍」の週プレ読者に読ませる意味は小さくない。筆者は、教育者のつもりで書いているような気がする。

   女医や女優といった職名は、「男の世界」に後から女性が入ってきた歴史によるものだろう。「女子アナ」はさらに展開し、男性の妄想を煮詰めたような言葉に。それを逆手にのし上がる女性もいようが、確かに気持ちのいい言葉ではないと、私も思う。

   少なくとも、テレビの報道現場にいま求められているのは大きな胸ではない。小島さんが書くように、太い骨なのだ。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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