ワークショップで経験を積んでおけば
大災害で死者が出るなんてとんでもない−−−こう考えてしまうのではなく、悲惨な事態に直面した時にどうすれば的確に動けるか、を考えなくてはならない。「悲観的に備え、楽観的に対処する」という危機管理の基本を、災害での身元確認活動の現場に浸透させる必要があるのだ。
そこで熊谷が考えたのは、法歯学の専門家で多くの実績を持つ韓国のLee Sang-Seob氏(National Forensic Service 法歯学門部長)を招いて、韓国の「National Forensic Service」のシステムと災害対応について学ぶセミナーを開催することだった。「National Forensic Service」は、国立の科学捜査研究機関である。
セミナーの対象者は警察官や警察協力歯科医をはじめとする検視・身元確認に携(たずさ)わるすべての人々。初めての試みでもあり、まずは岩手県盛岡市を会場にして県内の参加者を募ることにした。問題は資金だったが、
「いろいろ調べていくうちに、公益財団法人韓昌祐・哲文化財団が助成申請者を公募していることを知り、申し込んだところ選んでいただけました」
助成金で講師や通訳への謝礼、会場費、さらにはワークショップで使用する遺体の模型(ファントム)、作業用ワゴン、防護服やマスク、グローブなどの備品を出すことが出来る。遺体の模型を見せてもらったが、高齢女性という設定で作られており、口腔内には治療痕のある歯のほか、ブリッジによる部分入れ歯まで入っていた。
どこをチェックしてどのように記録を取っていくか、具体的に学ぶことができる。ワークショップで経験を積んでおけば、実際に遺体を前にした時もたじろぐことなく、作業にとりかかれるだろう。
東日本大震災で、招集されたものの何をやるべきかわからず、運ばれてくる損傷の激しい遺体を見て、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状に苦しむことになった歯科医もいた。
事前に訓練されることで的確な作業に取り組むことができ、PTSDを少しでも防ぐことが出来るかもしれない。
何より、身元をきちんと特定して確実に遺族へ引き渡すことができなかった教訓をより良いものに変えていかなければ、死者は浮かばれない。今も取り違えられたまま、別人の墓で眠っている死者がいるのではないか。また、それとは知らず、「家族がまだ海の底に眠っている」と苦しんでいる遺族もいるのではないか。
歯型の治療痕などを示す「歯科所見」だけを身元確認の決め手とするのではなく、指紋とDNA型を加えた国際標準へ転換することが、無念の死者に応えることになるはずだ。
国際的大規模災害セミナーは2019年9月12日(木)、JR盛岡駅すぐそばにある「アイーナ いわて県民情報交流センター」で開催される。平日の木曜に開くのは、県警職員が参加しやすい上に、木曜を休みにしている歯科医院が多いからだという。
「少しでも多くの人に災害犠牲者身元確認の世界標準を知っていただいて、次の災害に備えたいと思います」 (敬称略)
(ノンフィクションライター 千葉 望)