複雑に高度化した現在、著作権の定義は大変厳しく、さまざまな論議を呼んでいます。現在日本では、音楽教室の中の教育のための演奏に著作権が発生するか・・というような裁判まで行われておりますが、長い歴史を持つクラシック音楽の場合、「時のヒット曲を主題に変奏曲を作る」というスタイルなどが流行した時代もあります。若手の無名の作曲家が自分の名前を売り出すときには必要だったりするので、モーツァルトも、ベートーヴェンも、ショパンも、その時代の「誰でも知っている名曲」のメロディーを基にした変奏曲を、特に若いころ作っています。
今日取り上げるのは、「~の主題による変奏曲」のスタイルをとりながら、事実上の本人のオリジナルと言ってもよい、異色の作品です。北欧ノルウェーの19世紀の作曲家、ヨハン・ハルヴォルセンの「ヘンデルの主題によるパッサカリア」です。
「音楽の母」ヘンデルの作品は単なる曲のきっかけ
パッサカリア、とは、シャコンヌと似たようなフォルム・・といわれる音楽の一種の形式で、繰り返し現れる低音の旋律の上に、メロディーが次々と変化して展開してゆく・・という曲です。つまりもともと変奏曲的な性格をもった曲なのです。
この題名からすると、バロック期、1685年生まれの「音楽の母」ことヘンデルの作品のメロディーを展開した変奏曲、のように見えます。
原曲は確かに、ヘンデルのハープシコード組曲 第7番 HWV432の第6曲、パッサカリアです。そのメロディーを生かしてはいるのですが、そのメロディーを変奏する、というより、その動機は単なる曲のきっかけだけで、そのあとは変奏曲というよりは全くの創作といってよいオリジナルな楽曲が続きます。
1864年、ノルウェーに生まれたヨハン・ハルヴォルセンは、当時まだクリスチャニアと言っていた現首都のオスロとスウェーデンのストックホルムで教育を受け、ヴァイオリニストとしてノルウェーのベルゲンでオーケストラに所属した後、勉強と、プロとしての演奏の両方の活動を求めて、多くの北欧出身の音楽家が留学するドイツのライプツィヒに居を移します。その後も、スコットランドやフィンランド、ロシアやドイツ・ベルリン、そしてベルギーまで足を延ばして、演奏活動の傍ら勉学に励みました。最終的にはクリスチャニアに戻り、オーケストラの指揮者として長く活躍した人です。
ノルウェーと言えば、代表的な作曲家は、エドワルド・グリーグですが、ハルヴォルセンはグリーグの姪と結婚したので、義理の甥、という関係になります。
ヴァイオリニスト、そして指揮者として活動したので、作曲を開始したのは20代後半からと決して早くはありませんでしたが、大作曲家を叔父に持つ環境で、彼も祖国ノルウェーの題材を織り込んだ曲をたくさん残しました。
原曲にも負けない迫力のある「かっこいい」曲
「ヘンデルの主題によるパッサカリア」は彼が33歳の1897年に作曲されています。オリジナルの編成はヴァイオリンとヴィオラの二重奏というシンプルな編成で、ヴァイオリン二丁や、ヴィオラ二丁、またはヴァイオリンとチェロの二重奏でも演奏されます。
原曲のヘンデルの「パッサカリア」も迫力ある展開を見せる見事な曲ですが、ハルヴォルセンの曲は、弦楽器二台という実にシンプルな編成・・つまり音域が広く、伴奏楽器として使いやすいピアノやチェンバロが参加していない・・・にも関わらず、原曲にも負けない迫力のある、「かっこいい」曲となっています。二台の弦楽器からこのような豊かな音楽が生まれるのか・・!と驚きを禁じえません。
「ヘンデル」という有名人の名前を借り、ヘンデルのパッサカリアの「ごく一部分」を作曲の動機として使ってはいますが、内容的には、ほぼハルヴォルセンの創作、しかし、その出来栄えは、弦楽器に精通したこの北欧の作曲家の力量を余すところなく示した傑作となっているのです。
グリーグに比べたら、まだまだ無名の作曲家ですが、この弦楽合奏曲は、決して見過ごすことのできない佳作ですし、これからさらに再評価が進む作曲家のような気がしてなりません。
本田聖嗣