タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
夏フェスの季節がやってきた。
梅雨が明けるのを待ちかねたように2019年7月の半ばから全国各地で様々な形の野外コンサートが開催されてゆく。
一面に広がる空の下で風に吹かれながら一度に複数の出演者を見ることが出来る。それは屋内のコンサートとは全く違う音楽の楽しみ方だろう。どのイベントもそれ自体のファンが定着している。この人が出るから、ではなくどんな人が出るのだろう、という関心。出演者が発表になる前に売り切れてしまう例も少なくない。
6月30日、前日に梅雨が明けたばかりの沖縄でその先陣を切るようにBEGINの「うたの日コンサート2019」が開かれた。
この世から「うた」がなくなってしまったら
夏フェスと呼ばれる野外コンサートには二つの形がある。
ひとつは1997年に始まった、日本を代表するフェス「フジロック」がそうであるように特定の会社が出演者への依頼からコンサートの制作までを受け持つというスタイル。もう一つは「うたの日コンサート」のように一人のアーティストやバンドが主宰する個人フェスがある。一つの会場にいくつものステージが組まれ時には数日間に渡ることもある大規模な前者とは違うテーマや目的を持つのが後者ということになる。
中でも2001年に始まった「うたの日コンサート」は主旨の明確さと独特の会場の空気もあり全国でも例のないイベントになっている。19回目の今年は、それが一段と感じられるものになった。
「うたの日」は、毎年、沖縄戦終結の日である「慰霊の日」の後の週末に開催される。
戦時中、沖縄では歌舞音曲が「不謹慎」として禁止されてきた。それでも人々は山の中や濠の中で歌い、踊り、苦しい生活を耐え忍んできた。もし、歌がなかったら、あの時代を越えられただろうか。今、この世から「うた」がなくなってしまったら、世界はどれだけ無味乾燥なものになるだろう。今だからこそ「うた」に感謝するとともに祝おうということで始まった。
2001年の一回目は那覇のライブハウス、2002年が沖縄市の市民会館、第三回目から野外になった。2013年から今の嘉手納町兼久海浜公園で行われている。
海沿いに広がる芝生の公園に潮風が吹き抜けてゆく。開演15時30分、気温32度。青い空にはうっすらと虹がかかるという、これぞ沖縄という夏らしい雰囲気の中で始まった。
100人超のウクレレ、圧迫骨折の加山雄三が
個人フェスと一般的なフェスの最大の違いは、ホストとなっているバンドやアーティストのホスピタリティだろう。出演者の紹介や進行。司会の女性DJ、きゃんひとみと与座よしあきにBEGINも加わって会場を盛り上げてゆく。
メンバー4人が全員歌うという沖縄出身の若手バンド、HoRookies(ホルキーズ)や伊江島出身、21歳のシンガーソングライター、Anly(アンリィ)、ハワイのウクレレ名人、ハーブ・オオタ・ジュニアと110人のウクレレ奏者、BEGINの比嘉栄昇が開発した三線とギターを合わせた楽器、一五一会(いちごいちえ)を取り入れたインスツルメンタル&コーラスバンド、The Breeze&Iは東京で行われる「うたの日」の常連、南国感溢れる演奏が続く中で登場したのがメインゲスト、加山雄三。ウクレレを使った彼の代表曲「お嫁においで」にハーブ・オオタ・ジュニアが加わり100人を超える沖縄のフラダンスサークルのメンバーが色を添える。移民数の多いことで知られるハワイと沖縄。戦後、焦土と化し食料不足に苦しむ沖縄がハワイから贈られた550頭の豚で救われたという縁もある沖縄とハワイが音楽を通じて重なり合う。「うたの日」に行われている「豚の恩返し募金」は、お返しにハワイに550本の楽器を贈ろうと始まったものだ。
ゲストの加山雄三は、いつものギターを持っていなかった。彼は「背骨を圧迫骨折していて深くお辞儀が出来ずギターが持てない」と明かして、それでも堂々たる熱唱を聞かせてくれた。
そんな彼を笑顔の合唱と手拍子で迎えた客席を見ていて気付いたことがあった。
スマホをかざして写真を撮っている人がいない。いてもちらほらという程度でほぼ全員が立ち上がって思い思いにステージに視線を向けている。
加山雄三は82歳。今後、沖縄の野外で見ることはもうないかもしれない。しかも、骨折をおしてステージに立っている。
そんな姿をスマホに収めようとするのではなく一緒に歌い身体を動かすことで噛みしめている。それが「うたの日」ならではに思えた。加山雄三は終演後、BEGINに対して「お客さんが温かかった」と感想を伝えたのだそうだ。ステージで歌う人間にとって、スマホのカメラの放列で迎えられるより笑顔の合唱で迎えられる方が嬉しいというのは容易に想像できる。
まさに「うたの日」だと思った。
客席もステージもない寛ぎのフェス
BEGINのここ数年のコンサートに欠かせないのが、"マルシャショーラ"というメドレーである。ブラジルのサンバの母体になったというダンス"マルシャ"を"しようよ"という造語。延々途切れることのないビートにのってBEGINのヒット曲や昭和歌謡の名曲が歌われてゆく。前半・後半に分かれた計23曲。最後は加山雄三も加わった「サライ」だった。
全出演者約500名、芝生の上の観客は約8000人。家族連れの多さも通常の夏フェスとは違う。"おじいおばあ"と呼ばれる年代も多い。三世代が当たり前であり、誰もが楽しそうだ。立ち上がって気の向くままに指笛を鳴らしカチャーシーと呼ばれる沖縄の踊りを踊っているお年寄りもいる。
ウクレレオールスターズやサンバダンサー宮城姉妹、琉球祭太鼓、嘉手納町長も交えて約1時間に及んだ「マルシャショーラ」の足踏みダンスの歩数は去年の7000歩を上回る8300歩と発表され、会場が歓喜とともにどよめいている。
それは心温まる光景だった。
日本に夏フェスが定着して約20年。70年代のように教育委員会が中高生の参加を禁止したりという時代ではなくなっている。
でも、客席の年代の広さ、そして、思い思いの楽しみ方。客席もステージもない。こんなに会場中が屈託なく寛いでいるフェスはここだけではないだろうか。
ビジネスでもプロモーションで数合わせでもない。音楽のジャンルにもこだわらない。それでも確かなテーマは流れており、誰もが同じ思いで参加している。
それが未来のフェスの形なのではないだろうか。来年はBEGINデビュー30周年。「うたの日」も20回目を迎える。
(タケ)