今年の欧州は異常な熱波に襲われています。普通なら、曇りがちで気温のあがらないパリを脱出して、太陽あふれる南欧に出かける・・というのが「ヴァカンス」のスタイルですが、今年はどうやら日本と同じく「避暑地に行く」という休暇になりそうです。
今日は北欧の人たちがあこがれる、エーゲ海に浮かぶ島に関連のある曲が登場します。
2人のピアノ奏者で2台のピアノを演奏する曲
パリのルーブル美術館所蔵の絵に、アントワーヌ・ワトー作「シテール島への船出」という作品があります。ギリシャ神話の中に女神アフロディテ(ヴィーナス)が海から生まれて最初に上陸した幸せの島、という物語があり、中世の欧州でそこに「真実の愛を見つけに行く巡礼」という意味合いが付加されたのでした。ワトーは、シテール島へ向かう幸福そうな男女の模様を描いたのですが、フランス語で「シテール」と呼ばれるこの島は実際に存在します。ペロポネソス半島の南の海上に位置するキティラ島がそれです。エーゲ海の出入り口にあたるため、古来より海上交通の要所であり、古くは地中海を交易で結んだヴェネツィア共和国の領有でしたし、ヴェネツィアがナポレオンに解体されてからしばらくはフランス領、その後、ギリシャに権益を確保したい英国の領土となり、最終的に英国の影響下に成立したギリシャ王国のものとなり、現在もギリシャ領です。
現実の歴史では、こうやって支配者が目まぐるしく変わる島でしたが、ワトーの絵の中では、あくまでも「伝説上の幸せの島」として描かれています。そして、この絵にインスピレーションを得た作曲家による曲が、2曲ありますが、今日はその有名でないほう、を取り上げたいと思います。フランスのフランシス・プーランクの「シテール島への船出」です。
この曲は2台4手の作品、つまり2人のピアノ奏者で2台のピアノを演奏する曲ですが、わずか2分程度の、とても楽しげな曲です。スタイルはワルツ・ミュゼット、つまり、ミュージックホールで実際に踊りの伴奏として使われるような、親しみやすいワルツの形式となっています。
「おしゃれかつ楽しい」作品を生み出し続けた
1898年生まれのプーランクがこの曲を書いたのは1951年。世紀末のフランス・パリに生まれたプーランクは二度の大戦を潜り抜け、ようやく平和が戻ってきたこの時期、すでに円熟した作曲家・ピアニストとなっており、長年のパートナーである歌手ピエール・ベルナックと、初めて米国に演奏旅行に出ます。
そこで出会った2人の米国人ピアニスト、A.ゴールドと、R.フィッツダールのために、この曲は作曲されました。ちょうど依頼されていた映画音楽のことも念頭に置いて、彼は、ギリシャ神話の伝説の幸福の島を、20世紀に興隆してきたポピュラー音楽のスタイルをとり入れて書き上げたのです。プーランクは、一方で敬虔な宗教的作品を書く一方、もう一方で、「パリの縁日のような」と言ってもよい、シャンソンやミュゼットといった大衆音楽的なものもうまく自作に取り込む作曲家でした。第二次世界大戦後のクラシック音楽シーンはいわゆる難解な「現代音楽」というものが大勢を占めつつありましたが、プーランクは、巨大化学会社の御曹司というノーブルな出自であるにもかかわらず、つねにベル・エポックのパリを思わせるような、「おしゃれかつ楽しい」作品を生み出し続けたのです。
「シテール島への船出」は、短いこともあり、決してプーランクの代表作、というわけではありませんが、彼の音楽的傾向を知ることができる、とても薫り高く、楽しい1曲です。
本田聖嗣