■『平成金融史』(西野智彦著、中公新書)
2019年4月1日の新元号発表以来、世は令和ブームにある。その流れで、区切りを迎えた「平成」という時代を総括したくなるもので、書店にも平成ものが並んでいる。平成と言えば、「失われた20年」とか「低迷の時代」といった視点で捉えられることが多いが、その震源地にあった「金融」に焦点を当てると、本書にも記されているように、まさに「金融動乱」の時代であった。その中で、大手町あたりでは「半沢直樹」などのドラマを生んだが、霞が関・永田町でも、それを超えるドラマが展開されていた。
個々の決定過程の評価や認識の難しさを改めて自覚
本書は、平成元年のバブル経済の最高潮からバブルの崩壊、累次の金融危機、そして現在のデフレ対応に至るまで、金融界、日本銀行や大蔵省、金融監督庁等の金融当局、政界等の幅広い取材や関係者の口述記録等に基づき、政策決定当事者の動向を含め、政策決定過程を仔細に描いている。特に、1997(平成9)年11月、三洋証券の会社更生、北海道拓殖銀行の経営破たん、山一證券の自主廃業と続き、徳陽シティ銀行の破たんと全国での取り付け騒ぎらしき騒動を迎えた同年11月26日を危機のピークと総括し、その後も、第二波、第三波と危機が続く状況を、リアリティーをもって描いている。
描かれている政策決定過程が正しいか否かは分からない。ただ、重要な政策決定において、情報の不足や認識の誤り、方針の対立、先送り、決断、当事者のそれぞれのスタンスの反映など、様々な要素が錯綜していることが表わされている。平成の時代のほとんどを経済官僚として過ごし、時に近くから、時に遠くから関わってきたが、個々の決定過程の評価や認識の難しさを改めて自覚させてくれるものでもあった。
著者はあとがきで、「振り返れば、すべて『失敗と実験』の連続だった」。「バブルの診断と処置を誤り、不良債権処理に出遅れ、公的資金の導入に躓き、危機回避のため実験的な弥縫策を繰り返した挙げ句、気がつけばデフレの迷路に入り込み、超金融緩和の壮大な実験場となった」と総括している。非常に手厳しい。それは、責任の重さの裏返しでもある。
しかし、特にデフレや低成長に関しては、超高齢化・人口減少に伴う低成長過程、先進国が直面するイノベーションへの我が国の対応力の問題が大きいように思う。ギリギリで金融恐慌を回避したプロセスとして評価することも可能かもしれない。歴史的検証はこれからも行われていくのだろう。