週刊新潮(6月20日号)の「十字路が見える」で、北方謙三さんが映画人との交流を書いている。映画祭の選考委員などを務めるうちに、業界関係者との縁が生まれた。
「だいぶ前の話になるが、私はある映画祭の顧問のようなことをしていて、数日間、地方都市に滞在し、映画を観、トークショーをやり、監督や俳優さんたちと酒を飲んだりもした」
新人賞の選考では、小説のそれと同様、完成度の高さより可能性を重視するのが基本という。しかし、同じ場所で続けて何本も観ていると、完成度や可能性の基準は曖昧なものになる。そんな時は、「肌に刺さってくるもの。私は、それだけを待った」
同じ表現者としての実感だろう。興味深いが、この随筆は後半のほうが面白い。
「ちょっとだけ言葉を交わして、気持に残っている人は、何人もいる。前に自慢したが、ショーン・コネリーがそのひとりだ」
007シリーズのボンド役にコネリーが復帰し、最後の主演となった「ネバーセイ・ネバーアゲイン」(1983年)の宣伝で来日した時の話である。北方さんは、配給会社などが主催するパーティーで乾杯の発声を頼まれた。大勢に囲まれた大スターを横目で見ながら、マイクの前に立って「みなさん」と切り出す筆者...
「そのまま乾杯と言うつもりだったが、ショーン・コネリーは取り囲んでいた人々を制し、つかつかと私のそばに歩いてきたのである。背が高かった。頭髪は薄くなりはじめている、と感じた」
「君は私に似ている」
コネリーに促され、挨拶をして乾杯の音頭をとった北方さん。主役は会場全体に回すようにグラスを動かし、北方さんのグラスに軽く合わせた。そしてこう言ったそうだ。
〈君は私に似ているが、どんな映画に出ているんだい〉
「私は少々焦って、映画ではなく小説を、と言った。どんな小説の映画なんだい。いや俳優ではなく、小説を書いているんです。そのあたりで、彼の周囲には人が集まってきて、話が成立する情況ではなくなった」
ごく短時間のやりとりだったが、それだけで北方さんはコネリーが好きになったという。例えば晩年の作品「小説家を見つけたら」(2000年)。「あれは書けなくなった作家の話で、そんなものは普通だと身につまされて嫌いなのだが、いい映画だと思った」
「元」英国情報部員を演じた「ザ・ロック」(1996年)はどうか。
「それほどいいと私は感じなかったが、白い髭を蓄え、ちょっと身に合わないスリー・ピースを着て出てきた時は、似てるかもしれないと思い、人からもそう言われた」
なんのことはない。ご本人もその気である。
「映画俳優に似ているなどという話は、嫌み以外のなにものでもあるまいな。君も、怒るか横をむくかしているな。まあ、自慢するつもりで書いたわけではないので、勘弁してくれ」