タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
いきなりですが、質問です。
日本の音楽史上、東京ドームとその前の後楽園球場と両方でコンサートを行ったバンドが2組います。それは誰でしょう。
東京ドームが開設されたのは1988年。そろそろその前が後楽園球場という名前だったことは知らないという人たちも出てきているのかもしれない。その両方を経験しているということは、30年以上前からそれだけの人気を得ているということになる。
答えは、ザ・タイガースとアリスである。
タイガースは68年と2013年、アリスは81年と2010年。81年の時にはバンドを従えてのものと3人だけと二回行われており、回数で言えば彼らの方が多い。そして、現役として活動しているという意味では唯一と言う事になる。
ライブに音楽人生の記録を残す
2019年5月5日の神戸国際会館を皮切りにアリスのツアー「ALICE AGAIN 2019-2020 限りなき挑戦 OPEN GATE」が始まっている。
アリスは谷村新司(V・G)、堀内孝雄(V・G)、矢沢透(D)という3人組。71年に結成され、72年にシングル「走っておいで恋人よ」でデビューした。
そもそもの発端は、1970年に北山修や加藤和彦ら、関西のミュージシャンで行われたアメリカツアーの途中に、別々のグループで参加していた谷村新司と矢沢透が意気投合して始まった。帰国した谷村がやはり関西のバンド仲間だった堀内孝雄を誘って3人になった。
彼らの初ステージが72年5月5日に行われた奈良市市民会館。谷村と矢沢は今年70歳になった。堀内孝雄は10月だ。今回のツアーは3人の「古希ツアー」。初日が「始まりの日」である5月5日なのも区切りと記念ならではだった。
アリスは、「チャンピオン」「冬の稲妻」「今はもうだれも」「ジョニーの子守唄」「秋止符」など、ヒット曲の多さでも知られている。後楽園球場・東京ドームともに成功させている最大の要因はそこにある。
でも、音楽史的に言えば、それだけではない。70年代屈指のライブバンドとしての実績を重視しないといけない。
彼らを語る時にかならず登場するのが、急行が停車する全国の街のほとんどに行ったという74年のツアースケジュール「年間303本」がある。
関西出身の彼らはまだ東京での知名度もない。ラジオの深夜放送と地道なライブという愚直な方法しか持てない。その中で少しずつ動員を増やしてきた。ザ・ピーナッツのバックバンドなど、若手ジャズドラマーとして将来を嘱望されていた矢沢透が楽器をコンガに変えたのはツアーで移動する時に自分で運ばなければいけない、という事情もあった。
初めて武道館公演を行ったのは、1978年。日本人アーティストとして初めての三日間公演。その模様は2枚組ライブアルバム「栄光への脱出~武道館ライブ」として残されている。
アリスのライブバンドとしての在りようを物語っているのがライブアルバムの多さだろう。72年から81年の活動休止までの10年間でオリジナルアルバムが7枚なのに対してライブアルバムが6枚ある。
最初のライブアルバム73年の「ALICE ファースト・ライブ!」はデビュー半年後にホームグラウンドとなっていた西宮市民会館で収録されたもの。その後の神田共立講堂、新宿厚生年金会館、横浜スタジアム、二度にわたる後楽園球場。節目となるライブがアルバムとして発売されている。
ライブに音楽人生の全ての記録を残してきた。それがアリスでもあった。
武道館がよく似合う
6月7日、今回のツアーの武道館公演を見た。二日間公演の二日目。超満員の客席を前にした3人は、70歳とは到底思えない声量と歌唱力と風格で存在感を見せつけていた。
アリスを語る時に「フォークグループ」という形容詞がつくことが少なくない。
でも、ライブを見た人は、ロックバンドを遥かにしのぐ谷村新司と堀内孝雄の朗々としたツインヴォーカルに圧倒されるはずだ。
繊細な艶や憂いを備えた谷村新司のドラマティックな声は時にシャンソンを思わせ、男性的で深みのある堀内孝雄の思い切りのいい小節の説得力はジャンルを超える。二世代は若いバンドを従えた一曲目の「LIBRA-右の心と左の心」と二曲目の「BURAI」に始まり代表曲が立て続けに歌われた前半には、彼らのロックバンドとしてのスピリットがほとばしっていた。
今回、改めて感じたのが矢沢透の存在だった。演奏の中心になって全体を引っ張って行くビートとグルーブには若さとは違う無駄のなさと確かな味がある。
更に、特筆しなければいけないのが、コンサートの中盤に用意されていた3人だけのパートだろう。ギター二本とコンガという成り立ちの編成。彼は、ピアノの弾き語りで80年代シティポップスを思わせる自作曲を歌い、ジャズミュージシャンとしての一面を見せる。そして、ユーモラスなトークで人柄を感じさせる。彼がいてこそアリスだと思わせるのに十分だった。
武道館は、日本のコンサート会場の"聖地"と言っていい。それは歴史的な由緒というだけではない。ステージに立つ人がその場所に相応しいかどうかをあからさまにする。そのバンドやアーティストの"化けの皮"を剥いでしまう。当然ながらアリスはそうではなかった。
矢沢透を中央に左に堀内孝雄、右に谷村新司と並んだ三角形は、武道館を完全に支配していただけではなく、むしろ祝福されているようだった。3人に武道館はよく似合った。
それぞれの空を飛びまわって帰ってくる母艦
アリスは、初期の段階からグループとしての活動とソロ活動を両立させてきているという意味でも稀有な存在だった。当時、彼らが語っていたのは「アリスは母艦」という言葉だ。3人がそれぞれの空を飛びまわって帰ってくる場所。ここに帰ってくる。そういう意味では、今の方がより強い意味を持っていると言えそうだ。
81年の休止以降、最初の再始動は87年、以来6回目。武道館公演は2001年や前回、2013年の全都道府県ツアーの時も行われている。彼らの中でも「帰ってきた」という実感があることが伝わってきた。
年を重ねるということはその人の個性という色が濃くなっていくことでもある。それぞれの生き様や人生模様。三人三様というバランスという意味では、今が一番アリスらしい、と言って良いのではないだろうか。
彼らの曲はヒット曲しか知らない。そういう人のために、レコード会社の枠を超えてツアーの選曲を集めた初のオールタイム・ベストアルバム「ALICE AGAIN 限りなき挑戦-OPEN GATE-THE SETLIST」が発売されている。この日演奏されたのは26曲。そのうち24曲が収録されていた。
タイトルにもなっているツアーに向けた新曲「限りなき挑戦」は、こんな歌詞だ。
「あなたは突然言った 守るべきものが出来たら 無茶をしないで生きること 考えてもいい頃だと」
バンド史上、最年長最大規模となる70才ツアーは、来年まで続いてゆく。それが「無茶」かどうかは、観客が判断することなのかもしれない。
このステージのために今までの時間があった。そう思わせられる夜だった。
(タケ)