自由を何より重んじる姿勢が一貫
調性音楽を否定していっただけでなく、サティは、調性を決定する調号(♯や♭などの記号を五線譜の最初につけること)を記入することもなくなり、あろうことか楽譜の黎明期から存在した小節線さえ取り払った音楽を書いたりもします。これは「楽譜」という伝統に対する第4の反逆。
音楽とは会場に座ってじっと聞くこと・・・現代でもクラシックの音楽会はそのように聞かれることがほとんどですが・・・これも否定して、その場にある音すべてを音楽とする、その中には観客のおしゃべりも含む、という現代の環境音楽に通じる「家具の音楽」という提案も行います。起承転結を意図して、ロンド形式、ソナタ形式などの「形式」を生み出してきたクラシック音楽に対しては、同じものをひたすら何百回も繰り返すという単調極まりない「ヴェクサシオン」という曲を作曲し、形式をあざ笑うかのようなこともします。歴史あるクラシック音楽の形式に対する第5の反逆。
実はこれらの「音楽に対する反逆」は、すべて、サティのあとのフランスの音楽家や20世紀の音楽家たちによって受け継がれ、そのため、「一風変わった作曲家」だったサティは「現代音楽の開祖」といわれるまでになります。
一方、音楽を離れた私生活でも、しょっちゅう一風変わった驚きの行動をとる人でした。ベル・エポックのファッショナブルなパリとその郊外に生活しているのに、長髪に山高帽にフロックコートをまとい、杖を手にして歩く・・といつも同じ格好で、ピアノ弾きのアルバイトに通っていたと、数々の目撃証言があります。さしずめ、ファッションに対する反逆。軍隊に入隊した経歴もあるのに(ちなみに早期除隊のために音楽院に学籍を残していた、という説もあります)社会党や共産党にも入党し、一方で教祖と信者が彼ただ一人というへんてこな宗教団体「指導者イエスの芸術首都教会」も主宰します。共産主義者を実践するために、「作曲のギャラが高すぎる」という理由で依頼を断ったり、新品の帽子をお尻の下に轢いて床を往復し、わざわざヨレヨレにしてからかぶる・・ということもしていたそうです。現代ならちょっと「アブない人」と見られてしまいそうですが、サティはすべての権威や伝統や表面的なカッコつけに反逆し、自由を何より重んじる、という姿勢が一貫しています。