タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
女性に対していきなり年齢の話で恐縮ではあるのだが、ソロデビューという言葉で連想する年齢は何歳くらいだろう。誰もが思い浮かべるのは30代、せいぜい40代くらいではないだろうか。
しかも彼女の場合は、その前に"41年ぶり"というもうひとつの形容詞がつく。ということはそれ以前にも何等かの形で活動していたものの、その後、歌っていなかったということになる。それだけのブランクがある。そんなソロデビューがこれまでにあったかどうかすぐには思い出せない。
そういう意味でも2019年6月11、12日、Tokyo Dome City Hallで行われた伊藤蘭の「ファーストソロコンサート・2019」は、あまり経験したことのない初々しいものだった。
どこにでもいる女の子の生活感
伊藤蘭が1970年代にアイドルグループ、キャンディーズの一人だったことに説明は不要だろう。伊藤蘭、田中好子、藤村美樹という3人組。元々は渡辺プロの音楽学校、東京音楽学院のメンバーで作っていた合唱団スクールメイツ出身。1973年にレコードデビューした。
70年代という時代が今とはかなり異なる音楽環境にあったという話は何度か触れている。"あっち側""こっち側"という業界の関係と片や演歌や歌謡曲、片やフォークやニューミュージックという音楽の流れ。彼女たちは、そのどちらにも偏らない"青春性"を持っていた。
例えば、同じ時期に登場したアイドル、山口百恵の2枚目のシングル「青い果実」の「あなたが望むなら私何をされてもいいわ」や74年のシングル「ひと夏の経験」の「女の子の一番大切なものをあげるわ」という歌詞に代表されるように10代のアイドル歌手が歌うテーマにはどこか「性」の匂いがした。
キャンディーズはそうではなかった。
彼女たちの最初のトップ10入りヒットが75年の5枚目のシングル「年下の男の子」。トップ3入りヒットとなったのは9枚目の「春一番」である。
少女たちの「禁断の性」という危ういテーマではない日常性。どこにでもいる女の子の生活感を備えつつ愛らしい。それは「歌謡曲」というより「ニューミュージック」に近かった。それでいて音楽は踊れて歌える。ドリフターズの番組のセミレギュラー的存在だったようにお茶の間にも認知されていた。最大のヒット曲となった「やさしい悪魔」の作曲は吉田拓郎である。彼はデモテープを完璧に作り上げ、レコーディングにも直々に立ち会ったというエピソードは有名だ。70年代の"あっち側""こっち側"というジャンルとは違う60年代のアメリカン・ポップスに多かった青春ソングを歌えるアイドルグループ。それは、アイコンとしてのキャラクターが突出していたピンク・レディーとは違う親近感となっていた。
ただ、彼女たちの活動は長くなかった。どんなに音楽がニューミュージック寄りであろうとアイドルはアイドル。芸能誌やテレビのバラエティー。分刻みの過酷なスケジュールの中で翻弄され、77年、日比谷野外音楽堂のコンサートの最中に涙の解散宣言が発表された。有名な「普通の女の子に戻りたい」という発言をしたのが伊藤蘭だった。最後のコンサートが1978年4月4日、5万5千人という空前の大観衆を集めた女性歌手初の後楽園球場コンサートだった。
それから41年。3人が同じステージに立つことはなかった。伊藤蘭は女優に転身、歌手としても活動していた田中好子は、2011年に癌のために55歳の人生を終え、藤村美樹は芸能界を引退してしまった。