タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
今年も様々なバンドやアーティストの「周年」が続いている。
例えば2019年4月からツアー「光陰矢の如し~少年老い易く 学成り難し」が始まっている井上陽水は50周年だし、5月からツアー「令和最初のGLAYとHEAVY GUAGE」が始まったGLAYは25周年。先日、5月31日と6月1日に武道館で「LUNA SEA 30th anniversary LIVE-Story of the ten thousand days」を行ったLUNA SEAは30周年である。
ただ、同じ「周年」でも、それぞれにニュアンスは少しずつ違う。井上陽水は、本名になる前、アンドレ・カンドレという芸名でデビューしてからも含んだ50周年だし、GLAYはインディーズからのデビュー25周年。LUNA SEAは今のメンバーで初めてライヴを行った日から数えての結成30周年である。ソロアーティストはともかく、バンドには、メンバーによって参加した時期が多少違うことも少なくない。
そういう意味で言うと、この5人での初ライヴから数えるというLUNA SEAの「結成30周年」が、「STORY」の起点としては一番分かりやすいかもしれない。そして、5月31日、6月1日の武道館は、そんな時間がどういうものだったかを証明したコンサートだった。
惰性にならず妥協を受け入れない
LUNA SEAはRYUICHI(V)、SUGIZO(G・VI)、INORAN(G)、J(B)、真矢(D)という五人組。神奈川県秦野市と大和市の出身。89年5月29日に東京都町田市の「プレイハウス」で初めてのライヴを行った。91年にX-JAPANのYOSHIKIが主催しているエクスタシー・レコードからインディーズデビュー。ちなみにその3年後に後を追うようにデビューしたのがGLAYだった。
5月31日・6月1日の武道館でもオープニングで当時の映像が流されていた。
白塗りにメイク、腰まである長髪という御神楽のようないで立ち。ジャケットには十字架に背いたような反骨的、背徳的な異端性が目を引いていた。「月と海」というバンド名が物語る神秘性と様式美は、それまでのロックバンドにはない芸術性すら感じさせた。
筆者が初めて彼らを見たのは95年の初の東京ドーム。外見が先行し音楽は攻撃的なビートに終始するというバンドが多かったビジュアル系というイメージでの先入観を悔やませるのにあまりあった。
彼らが30周年のライヴを「STORY」と名付けたのは、そうしたバンドと個々のありようの試行錯誤がそれだけ劇的だったからでもある。97年にはバンドとしての歩みを止めて一年間のソロ活動。筆者も取材で同行した活動再開後の99年1月のアジアツアーでは、まだロックバンドが認知されていなかった上海や香港で同じようないで立ちの若者が吸い寄せられるかのように集まり、それを公安警察が監視するという光景が展開、アジアの新しい時代を感じさせた。
そうした「STORY」の最たるものは、10周年の99年5月30日に東京ビッグサイト(東京・有明)で行われた野外コンサート「NEVER SOLD OUT」だろう。「売り切れなし」という会場は広大な埋め立て地。三日前に襲った暴風雨でステージセットが倒壊。照明もほとんど使えないという廃墟のような惨状をそのまま借景にしたコンサートは演出を超えていた。
そうやって迎えた2000年には「終幕」として一旦幕を下ろしてしまった。再び「Re:Boot」として再開したのは10年後の2010年。その幕開けもヨーロッパ、アメリカ、アジアを廻るワールドツアーからだった。
惰性にならない。妥協を受け入れない。空白の10年のソロ活動がどんな意味を持っていたかは、その後の活動が証明している。2010年年末の東京ドームは三日間。そのうちの一日は前代未聞のフリーコンサート。客席のかなりの割合が「終幕後」に彼らに出会った世代で初めてライヴに足を運んだという人達だった。彼らがすでに二回行っているLUNATIC FESTは、GLAYをはじめ彼らをリスペクトするバンドやアーティストが参加する一バンド主宰として異例のイベントになっている。