「夢も殺せるのか」
撮影のきっかけとなったのは、母が「4・3事件」の目撃者だったことがわかったからだが、それでもヤンはこの事件そのものの映画を作りたいわけではないという。
「母は壮絶な体験をし、婚約者を失いながらも父と出会って仲良く暮らし、子供を育てました。母は何かにつけて言うんです。『スープ食べなあかん』って。鶏のスープ、牛のテールスープはもちろん、家のあった鶴橋には魚を売る市場もあったので、魚のスープも作ってくれました。アマダイをぶつ切りにしたスープとか。関西は東京よりもアマダイ文化ですが、済州島ではアマダイがたくさん獲れるので、『ああ、オモニはこれを食べていたんだな』と納得しました。両親はとても仲が良く、日々のごはんを大事にしていて、毎日母の手料理を食べながら延々と話していたんです」
朝鮮総連の活動に忙しい父を支え、自分で商売をしながら家事には手抜きをしなかった母。食事の支度はもちろん、忙しくても下着やシーツ、枕カバーにまでアイロンをかけた。娘の誕生日には歳の数だけバラの花を贈ってくれた。北朝鮮崇拝が嫌で母に親しまなかったヤンだが、母の手料理で健康に育つことができた。北朝鮮に帰国した兄たちはみるみるうちにやせていったというのに。
反抗的だった長女のヤンにも野菜たっぷりの料理やスープを食べさせることで、変わらぬ愛情を示してきた母。十代で壮絶な虐殺事件に遭遇し、心に蓋をして生きてきた。日々スープを作り、アイロンをかけるという営みが支えだったのかもしれない。だが、そろそろ記憶も不確かになってきた年齢で、蓋が開いた。ようやくその人は済州島に戻り、リゾート地に変貌を遂げた郷里を見たのである。
「去年慰霊のツアーに参加した時は、母はあまり嬉しそうではなかったですね。つらい思いをさせたかなあとちょっと気になっていました。でもある時、『あんたに4・3の話をし始めたからかなあ。夢を見た。婚約者の顔も出てきた』と言われたんです。作家の金石範(キム・ソクポム)さん(「4・3事件」を描いた大長編小説『火山島』などの作品がある)にそのことをお話ししたところ、びっくりされたんです。『記憶を殺す例はあるが、夢も殺せるのか。それはすごい。オモニはすごいことを言ったんやぞ』って。それほどつらかったんだ、そこまで人間はつらい体験を封印できるんだと」
母を伴った済州島への旅に撮影隊もずっと同行した。記憶を心の奥深く閉じ込めて、日本で家族を育み、息子を北朝鮮に送り、今は生まれた土地である大阪で一人暮らす老いた母。今でも夫が生きていると思い、事あるごとに「アボジ(お父さん)は?」と娘に問いかけるという。
「母の中では今も祖母と父、兄たち、そして小さなヨンヒと暮らしていることになっているんです。私が、『それならここにおるの誰?』と自分を指差すと『ヨンヒ』って答えるんですけどね(笑)」
「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」、そして今回の公益財団法人韓昌祐・哲文化財団の助成対象となった「スープとイデオロギー」が家族の三部作となる。これでようやく、ヤンは家族の物語を完結させることができる。この後は北朝鮮への帰国事業など、また新しいテーマに挑戦する予定である。(敬称略)
(ノンフィクションライター 千葉 望)