認知症の母が記憶をたぐりよせ語り始めた
母には済州島に婚約者がいたという。その人は村の医者の息子で、手も握っていない関係だった。まだ貧しかった済州島で、日本生まれで都会育ちの娘は目立ったことだろう。縁談を持ち込まれ、祖母は結婚の支度をするため大阪に戻った。そこで「済州島が危ない」という情報を得る。なんとか娘たちを逃さなければと密航船を手配したのは、この祖母だった。
「1980年5月に起こった光州(クァンジュ)事件の時と同じです。渦中にいるとかえって情報が入ってこない。大阪の在日社会の方がいろんなことを知っていたんでしょう。その後、うちの家族があそこまで北朝鮮に傾倒していった背景には米軍政庁下の軍政警察と右翼勢力の大虐殺の経験があったからだと思います」
年老いてアルツハイマー型認知症と診断された母が、ぽつりぽつりと記憶を手繰り寄せるようにして語り始めた時、長年相性が悪いと思ってきた母娘の間に流れ出すものがあった。「かぞくのくに」のあと、ふたたびドキュメンタリー作品を撮ろうとした時、ハンディカメラで撮影した「ディア・ピョンヤン」や「愛しきソナ」と同じやり方を取ることはもうできなかった。
「脳梗塞で倒れた父のそばにいつも母がいたから、私も撮影できたんです。でも今回は母を介護しながらの撮影で、ずっと私がカメラを回すことができません。それならきちんとカメラマンを立てようと。また、母が若かった時代の部分は、お金はかかるけれどアニメーションで表現したいと思っています」
車椅子に乗る母を伴っての済州島ロケやアニメーション制作、編集なども韓国のスタッフに頼むことにした。問題は資金である。
「二度も助成をいただけるとは思っていませんでしたが、この助成事業には何度応募してもよいと知り、申請したところ幸い選んでいただきとても助かりました」