自己批評という小説の隠れた要石

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■『小説作法ABC』(島田雅彦著、新潮社)

   本書は小説家である島田氏が、大学での講義をもとに、小説の書き方の秘密の一端を明かした著作である。本書を読むことで、著者と同じように小説が書けるかどうかはわからない。ただ、少なくとも小説家の手の内を知ることで、小説を読む楽しみが倍増することは請け合える。

他人に見られている自分を描く

   本書を読んでなによりも認識を新たにするのは、素朴な小説観からの決別の必要性ということである。小説の由来について、少なからぬ読者が漠然と、天才の無意識に導かれ自動筆記に従うかのごとく生まれてきたように思いこんでいるのではないか。自分はそんな初心ではないという読者もおられるだろうが、少なくとも評者はかつて「天才の無意識」を信じていた口である。著者は、冒頭でピカソの「泣く女」を例にとることで、この小説観の転換をはじめている。曰く、「彼(ピカソ)の目には女があのような姿で自然とみえていたわけではない。彼は強烈な意志とセオリーをもって、あのように描くことを選択したのです」。

   この「意志とセオリー」は、小説というジャンルにおいて、どのような姿をとってあらわれるのか。著者は、それを「自己批評の精神」だという。小説以前の物語の形式である騎士道物語をはじめとする「ロマンス」で一番大事なことは、「予定調和」を踏襲すること、すなわち、お約束を守ることである。印籠を掲げる場面がなければ、水戸黄門はもはや水戸黄門ではない。他方、小説においては、型を踏襲しようにも、それを物語る作者の自意識が踏襲することを許さない。著者に従い、『ドン・キホーテ』からの引用を掲げる。

「ところでご存じねがいたいことは、上に述べたこの郷士が、いつも暇さえあれば、(もっとも一年のうちの大部分が暇な時間であったが)、たいへんな熱中ぶりでむさぼるがごとく騎士物語を読みふけったあまり、狩猟の楽しみも、はては畑仕事のさしずさえことごとく忘れ去ってしまったことである」

   ここでは、騎士道物語という型そのものが、笑いの対象となってしまっているのである。

   この「自己批評の精神」がどのようなものであるのかは、「意識的な一人称の使い方」という節を読むと一層よく理解できる。一人称の意識的使い方の例として、島田氏のあげるのは、(1)自分がどれだけ最低な人間かを語る「無頼」の自分語り、(2)現在の自分と過去の自分の対話、(3)エゴとスーパーエゴの対話、オルターエゴとの対話、無意識との対話である。これらの使い方の極意は、「自分を語るにしても、自分が思っている自分だけを語るのではなく、他人に見られている自分を描く」ことにあるという。

   このような教えを読んでいるうちに、読者のなかには、まるで自分でも小説を書けるような気がしてくる方がいるかもしれない。そう感じた読者のために、著者からのアドバイスで有用と思われるものをひとつあげておきたい。

「デビュー作に、アイデアはすべて投入せよ」

   この言葉をかみしめた上で、島田氏のデビュー作『優しいサヨクのための嬉遊曲』を読んでみてほしい。あなたが実際に書きはじめるのは、これを読んでみてからでよいように思う。

経済官庁 Repugnant Conclusion

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