女性にとっての「宇宙」
アルバムのオープニングとエンディングが「対」になっているのも彼女のアルバムの一つの形だろう。英語曲「鶏と蛇と豚」の般若心経で始まったアルバムのはやはり英語曲「あの世の門」で終わっている。彼女にとって初めてという海外録音はブルガリア。ライナーノーツによると「民俗音楽を背景に教会音楽やカンタータ、オラトリアなどの古典音楽と現代音楽をクロスオーバーした活動を展開しているブルガリアを代表する女性聖歌隊」のコーラスとともに終わっている。彼女が生後まもなく発覚した先天性の病気で生死の淵をさまよった時の記憶が書かれているという。
やはりライナーノーツの中にこんなコメントがあった。
「ひと頃までは繰り返し夢で見ていた光景なのに、いつの間にか見なくなり、記しておくべきかもしれない気がしたのと、本作の制作意図がちょうど合致したのだと思います。アルバムのラストに恐らく最も古いであろう記憶が描かれるのは、時系列上、逆さまなようですが、あらゆる意味で今は納得できています」
英語曲「あの世の門」の日本語詞にこんな一節があった。
「わたし自身が宇宙そのもの 時間さえ丸ごと包んでいる」「果てしない観念こそ全体で この外には何の要素もない」「わたし自身が起源そのもの 凡そ総てを兼ね備えている」「果てしない永遠がただ一つ この中には何の境界線もない」
ロックの歌詞の中に「宇宙」という言葉が登場するのは珍しくない。
ただ、男性が使う「宇宙」は、遥か彼方に無限に広がる空間というイメージがほとんどだろう。自分の「内」か「外」で言えば「外」だ。この歌はそうでなかった。「宇宙」は「わたし」である。わたしの「中」にある。「外」には何の要素もない。女性にとっての「宇宙」というのをこんな風に明快に歌った曲は多くないのではないだろうか。そこには「何の境界」もない。全ての対立概念が調和して均衡が保たれている。やはり日本語詞の中にこんな言葉がある。
「貧も瞋も癡も薬もない」
それが母性の永遠ということなのかもしれないと思った。
(タケ)