女性セブン(5月23日号)の「日々甘露苦露」で、作家の山田詠美さんがいわば飯のタネである「言葉」について、ひとしきりボヤいている。
「我が家から歩いて行ける範囲内に、おいしい(であろう)レストランが軒をつらねています。その内の何軒かには足を運びましたが、おおいに気に入った店あり、損した気分になる店あり...と、色々です」。冒頭はおとなしく平熱で始まる。連載の王道だ。
そんなレストランの一つに、山田さんは予約を入れた。「通り掛かるたびに気になっていたイタリアン」である。
「いつ覗いても、すいているようなので、何故かなあ...と思っていたのですが。結論から言うと、料理は全然悪くなかった。いえ、むしろかなりおいしい部類だった。しか―し、接客する女の人の口の利き方とその態度が...なっとらーん!!」
メニューの前菜の欄を見て、あーでもないこうでもないと迷っていた山田さんたちに、その女性は仏頂面でこう言ったそうだ。「盛り合わせ、いただいたらどうですか?」
「...あのさー、仮にも接客業でしょ? 客に対しては『召し上がったら』でしょ? 『いただく』は謙譲語。そのくらい勉強しろーい! ついでに言わせてもらえば、笑顔はホスピタリティの基本でしょ? にこりともしないのは、どういう訳?」
客がほかにいない理由をすぐに察した山田さんは、読者に問いかける。
「え? いちいち敬語云々って、うるさいですか? そうです。私、うるさいんですよ。あるレヴェル以上のレストランでは、サーヴィスは有料なんです」
あー、恥ずかしい
山田さんがこだわるのは、接客業の言葉遣いや態度のみではない。
「いい年齢(とし)して、自分の親を『お母さん、お父さん』とか呼んでる輩は許さんよ。親しい友人同士なら問題ないのですが、公的な場で平然と言うタレントさんなどを目にするたびに好感度は急降下します」
ところが、ある本を読んだ山田さんは「私、いばってる場合じゃなかった。間違って覚えていた言葉づかいがいっぱいあったーーっ」と衝撃を受ける。
その本は、朝日新聞のベテラン校閲記者、前田安正さんが書いた『ヤバいほど日本語知らないんだけど』(朝日新聞出版)である。
たとえば〈~~が輩出する〉を、山田さんは〈~~を輩出する〉だと思っていたそうだ。恥ずかしながら私(冨永)も間違えて覚えていて、天声人語で使った時に、それこそ前田さんたちの指摘に救われたことがある。輩出は「次々に世に出る」という自動詞で、「世に送り出す」という意味ではない。どうも「排出」と混同していたらしい。
「私、TVで、この正しい使い方をしているアナウンサーなどに、ふん、変な言い方しやがって、と毒づいていたんです。あー、恥ずかしい。誰に謝って良いのか解んないけど、ごめんなさーい!」
カッコ悪い「素」を晒す
このエッセイに添えられたタイトルは「言葉の小姑 うっかり躓(つまず)く」。仕事柄、言葉にはうるさいと自負していたのに思い違いをしていた、という自虐ネタである。
私も、自分のことは棚に上げ、テレビのインタビューなどでタレントやアスリートが「お母さん、お父さん」と呼ぶのを「小舅」のように苦々しく思っている。逆に、中高生が「父、母」と呼ぶのを見ると清々しい気分になり、心で拍手をしてしまう。
テレビのニュースで「注目を集めそうです」と聞くたびに「注目されそうです」でよかろうもんと顔をしかめ、「発売開始」じゃなくて「販売開始」やろがと突っ込む。気になりすぎて、独り言の文句までどこの言葉か分からないほど心乱れてしまうのだ。
山田さんがこの種のコトバ警察的ボヤキに終始していたら、読後感は違っていただろう。最後に「ごめんなさーい!」があるからファンは安心し、次週も読みたくなる。カッコ悪い素を晒すところを含めて山田エッセイの魅力なのだ。本音で生きる人は強い。
冨永 格