露骨な嫌がらせの真相は不明
その国民音楽協会仲間で、「フランスのモーツァルト」という神童伝説をもつサン=サーンス・・・彼もオルガニストであると同時に優れたピアニストでもありました・・・にフランクは「ピアノ五重奏曲」を献呈したのです。そして、国民音楽協会で初演されるとき、サン=サーンスみずから、ピアニストの役を買って出てくれたのでした。
しかしながら、マルシック四重奏団と一緒に演奏し終えたサン=サーンスに、フランクが近づいてあいさつをしようとしたところ、自分への献辞が書かれているにも関わらず、サン=サーンスはピアノの上に自筆譜をほったらかしにして舞台を後にしてしまったのです。露骨な嫌がらせでした。
真相は、分かりません。室内楽作曲家として再始動し始めたフランクの才能に嫉妬したからだとか、このころから「守旧派」と攻撃されることが多くなり、保守的な傾向を見せ始めていたサン=サーンスにとって、フランクの音楽は新しすぎたからだとか、さらには、この時期夫人を差し置いてフランクが熱を上げていた彼の弟子で作曲家の才能あふれる女性が、その昔、サン=サーンスの交際申し込みを断ったからだ・・といういかにもフランス的な理由まで、憶測として語られています。
初演者サン=サーンスには邪険にされてしまいましたが、フランクの後期の作曲充実期のスタートに当たる「ピアノ五重奏曲」は、その後のさらに大傑作への道を開く、重要な作品となったのです。
本田聖嗣