尋ねたくても聞けない「医者の本音」を明かす

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医者にとって「死」とは

   最終章において著者は、医師にとって、ある意味でタブーともいえる「死」の問題を取り上げ、現場の医者が「生と死」の問題をどう考えているかについて語っている。

   人生100年時代の到来が語られる現在、「何歳まで治療を行うべきか」は、医療現場の難題となっているそうだ。

   本書では、著者が受け持った90歳を超えた大腸がん患者の事例が紹介されている。心筋梗塞の既往歴があり、糖尿病に加え、腎機能も低下している中で、大腸がんの切除といったリスクの高い根本治療に踏み切るか、それとも、がんは残したまま人工肛門を増設し、腸閉塞を回避するなどの延命治療とするか、悩んだ事例だ。

   このケースでは、患者自身に認知症があり、自分では人工肛門の管理ができないこと、また、同居家族にもケアを期待できないといった事情も考慮する必要があったという。

   結局、リスクを覚悟して、根本治療に踏み切り、綱渡りながら無事、退院できたそうだが、昨今、こうした事例がどんどん増えてきており、医療現場では、事実上、外科医にその判断が委ねられている状況だという。

   超高齢の様々な病気を抱える患者に対し、リスクの高い根本治療を実施するのかどうかについて、誰が、どのような事情を考慮して、判断するのか。プロセスや判断基準を含めて考えていく必要があろう。

   そもそも、こうした問いが発せられる根本には、人は最後に必ず死を迎えるという冷厳な事実がある。

   では、医師は自らの死を淡々と受け入れられるのか?

   著者自身がこれまで見てきた元医師の患者などからすると、日頃、死に慣れている医者だからといって、特別に死を受容しやすいということはないようだという。著者自身も、「上手に受容できるなどという気はしていません。いくらか諦めが早いかもしれませんが、死への恐怖をあまり感じない、というわけでもなさそうな気がしています」と語っている。

   それでもこれまで多数の死に関わってきた著者にとって、「人間が死ぬ確率は100%である」は所与の事実であり、医師が何とかできるものではないという。

「病院の現場にいると、時々とてもやるせなくなります。自分の患者さんに圧倒的に押し寄せる死の波を、どうにかこうにかちょっとだけ押し戻した、と思ったら、あっという間に次の波が足元まで来ていた。そんなことばかりです」

「医者は無力です。神様が決めたその人の運命に、その人とともにあらがいますが、まだまだ負け越しです。死をコントロールすることは、医者にもできません。そんな時代に、こういう『人間』という生き物に生まれてきた私たち。どう生きるか、一度考えてみませんか」

   「生・死」の境界で働く医師といえども、やはり「人」。医療の限界を感じつつ、苦闘しているのだ。

JOJO(厚生労働省)

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