忘れがたきカンニング 山田清機さんは嫌悪しつつも攻め倒さず

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   週刊朝日(4月26日号)の「大センセイの大魂嘆!」で、山田清機さんがカンニングについて書いている。忘れ難いズル、の話である。

   冒頭は「学生時代の知り合いに、カンニングに血道を上げている人物がいた。名前はたしか、サガワ君といった」。ちなみに大センセイ=山田さんは、早稲田を卒業している。

   サガワ君は進学校として名高い灘高校(神戸市)の出身で、同校から東大か京大に進めなかったら「人生が終わったことを意味する」とよく言っていたそうだ。

「そのせいか否か、彼が編み出すカンニングの手法には、もともとの頭のよさから来る周到さと同時に、いかにも世の中をナメた感じがにじみ出ていた」

   1年生の前期試験。サガワ君は六角形の鉛筆の一つの面を美しく削り、むき出しになった木肌に細かい字でドイツ語の活用形をびっしり書き込んでいた。筆箱にはほぼ未使用の鉛筆が5、6本。〈第二外国語なんてな、世の中に出て使うことなんて、絶対にないんや。こんなもん覚えるのアホやで〉と、ご本人はのたまったそうである。

   後期の試験に向けて、サガワ君はなぜか髪を伸ばし始めた。同じ灘高出身の友人は「あいつ、一世一代の大勝負打つんや」と言う。なんでも、模範解答すべてをカセットテープに吹き込み、イヤホンのコードを密かに首の後ろから耳につないで再生させる作戦らしい。

「そんなことに労力をかけるぐらいなら、模範解答を暗記した方が早い気がしたが、『人生、終わった』人たちの心の闇の深さは、大センセイにはついぞ分からなかった」
  • カンニングしていい点とっても…
    カンニングしていい点とっても…
  • カンニングしていい点とっても…

Kさんの恥じらい

   山田さんは「もうひとつ、忘れられないカンニングがある」と後半へ進む。

   小学校の高学年。同じクラスにKさんという女の子がいた。当時の山田さんは「品行方正、威風堂々、向かうところ敵なしの学級委員で、勉強もできた」らしい。一方のKさんはその反対だった。算数のテスト中、隣に座るKさんの動きが怪しい。

「こちらの手元をじーっと見詰めていることに気づいた。それはもう、あからさまな、紛う方なき、そして決然たるカンニングであった」

   山田さんが解答欄に「4」と書くと、すかさずKさんの鉛筆が動く。

「さすがにいかがなものかと思ってKさんの方を見ると、再び彼女が鉛筆を動かして解答欄に何かを書き加えた。大センセイ、思わずそれを見てしまった」

   Kさんの解答欄にはこう記入されていた...〈4 だと思う〉

「あれは、カンニングに対する後ろめたさの表明だったのか、大センセイへの遠慮だったのか、それとも...。彼女はいま、どんな人生を送っているだろうか」

その後に待つ人生

   山田さんは前半の結びでも、灘高出身者に「彼らはいま、どんな人生を送っているだろうか」と、皮肉を込めた自問を添えている。少年期のズルが人生にどんな影響を与えたのか。その行為に、ラクして生きたいという堕落を見るか、ここを凌がねばという必死さや要領のよさを感じるか。山田さんは攻め倒そうとはしない。とことん突き詰めることもない。どちらも青春の1ページとして、ユーモアを交えて淡々と記すのみだ。

   秀逸なのは〈4 だと思う〉の解答だろう。山田さんに睨まれ、切羽詰まったKさんの心情は察するに余りある。しぼり出すような〈だと思う〉...だと思うのだ。

   山田さんがこれを45年ほど覚えていたのは、付け足した4文字に「人生の真実」が宿るからかもしれない。カンニングという、ズルとウソの中に光る本音である。

   Kさんのその後の人生は、虚実のいずれだろうか。いや、人生はそんな単純なものではない。いい人になったり、悪い奴になったり。彼女も、こっそり盗み見た「4」と、恥じらいつつ書き加えた「だと思う」の間を日々行ったり来たり...ではなかろうか。

   そう。あなたや私と同じように。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)

コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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