週刊SPA!(4月16日号)の「ドン・キホーテのピアス」で、鴻上尚史さんが「令和」の発表会見に抱いた「モヤモヤ」について書いている。きょうから「元年」だが、「れいわ」のアクセントすら定まらぬまま「新たな時代」に移っていいのかと。
「新元号が発表になりましたなあ。演劇人なので、菅官房長官が『新しい元号は、令和であります』と言ってから、文字を見せるという二段階の提示の仕方にモヤモヤしました」
何がモヤモヤなのか。それは「驚きや感動を重視するのなら、『新しい元号は』と言った後、額縁を手に持って、『令和であります』と言いながら見せて欲しい」ということだ。
そうツイートしたところ、文字を同時に見せたらカメラのシャッター音で「れいわ」の音が聞こえにくいじゃないか、という意見が寄せられたらしい。
「はい、ですから、『令和であります』の『ます』ぐらいで額縁の文字を見せるタイミングがベストです。『令和で』の『れ』で見せるか、『あります』の『す』で見せるか、どっちがいいかまで、通常、表現のプロは考えます」
鴻上さんによれば、いやしくもプロの表現者を自認する人たちは、どうすれば表現が拡散せず凝縮して伝えられるか、ということを常に考えているのである。
「僕もよく俳優さんに向かって、『その言い方、あと0.2秒、つめてくれませんか?』なんて言います」
「音」にいい加減な日本人
鴻上さんは、国際オリンピック委員会のロゲ会長が、「トウキョ」と言いながら「TOKYO 2020」のボードを掲げた時の「感動というか驚きというかインパクト」を引きながら、日本人は表現に対するこだわりが「国民的レベルで違うんじゃないか」と問題提起する。
「だって、日本では偉い人のスピーチで表現に感動したことが本当に少ないんですよ。みんな、淡々と『真面目な内容を読む』だけですから...『表現』ってのは、人前で読むことじゃないんですよね。でも、菅官房長官も読みました」
それが、表現を生業にしている人間からすると「ムズムズする」というのである。
続けて筆者は、「令和」をどんなアクセントで発声すればいいのか、という問題に移る。つまり「平和」のようなフラットか、「明治」のような語頭アクセントか。発表者の官房長官はフラット気味の語頭、談話を発表した安倍首相は明らかな語頭アクセントだった。
鴻上さんは、元号法などが規定するのは漢字と読みだけで、自由に発音してもらって構わないとする内閣府担当者の見解を紹介したうえ、「自由というより、そういう質問を想定してなかったんじゃないかと僕はうがって考えます」と書く。
「日本人は...音(おん)に関してはいい加減です。なので、『日本』に『にっぽん』と『にほん』という二つの読み方が生まれるのです」
そして、寛容さが失われていく昨今、「令和」の読み方だけが「どうぞご自由に」というのは無理ではないのか、と結んでいる。