ピアノソロの楽譜が未完成に近いのは......
戴冠式景気の中、モーツァルトはフランクフルトで、ソリストとして、別の自作のピアノ協奏曲とともに演奏したと伝えられていますが、実は、「戴冠式」の初演は、この時ではないのです。
戴冠式に先立つこと1年前の1789年、モーツァルトはリヒノフスキー侯爵という人のお供として、やはり旅費を借金で工面して、プラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、そしてベルリン宮廷の離宮であるポツダムをめぐる旅にでています。もちろん自作を売り込む旅で、旅の途中、ドレスデンのザクセン選帝侯の宮廷で演奏会の機会が与えられ、そこで自らのピアノで演奏したのが初演だといわれています。
自作目録にはいつこの曲が完成したかは記されていないのですが、楽譜からいろいろ推理できるのです。この協奏曲のオーケストラ部分には、管楽器と打楽器のティンパニのパートがアドリブで、と書かれており、つまりは省くことも可能なように作曲されているのです。また、いくつかのピアノパートの左手のパッセージが最小限の音しか書き込まれていません。オーケストラの楽器を省けるようにとしたのは、大規模な宮廷楽団でなくても、室内楽的に伴奏できるように配慮したからであり、一方、ピアノソロの楽譜が未完成に近いのは、そのピアノパートは必ずモーツァルト自身が弾くことを想定していて、他人が弾けるように、楽譜として完成させなければならない必要性を考えていなかったからだと考えられます。
モーツァルトは、たとえ弦楽器だけの小規模な編成の楽団しかないような宮廷でも演奏可能とし、かつ、ピアノパートは自分で必ず弾くことを考えていた、というのは、とりもなおさず彼自身が、この曲で自分の作品、ひいては自分を積極的に「売り込む」ことを想定していた証拠にほかなりません。つまりそれだけ、彼は切羽詰まっていたのです。
しかし、この曲はそんな彼のプライベートはみじんも感じさせない、明るくて、壮麗な曲に仕上がっています。まさに祝祭にふさわしい華やかさをもった第1楽章などは、モーツァルトの円熟を表しているといえます。我々は彼の悲劇を知っているからこそ、この曲を聴いたときに、さらに深く感動してしまうのかもしれません。
本田聖嗣