生涯「石橋をたたいて、さらに渡らない」性格
19世紀前半の欧州は、ナポレオンに引っ掻き回された後の混乱で、ブラームスも幼いころは大変に苦労します。ベートーヴェンも、アルコール依存症の父親に代わって若いころからピアノを弾いて稼いでいますが、ブラームスも酒場のピアノ弾きとして、10代前半から家計を支えていました。
ピアノを弾くだけでなく、若いころから作曲も始めていたブラームスですが、彼の「Op.1」であるピアノソナタ第1番は、19歳のころ作曲した作品です。もちろん、これ以前にも、ブラームスはたくさん自作曲を作っていましたが、それらほとんどは箱にしまわれ、そのあと壁紙としてハンブルクの家の壁や天井を飾った後、自らの手で焼却処分としていました。それほどまでにブラームスは、自作の発表に対して慎重だったのです。彼の「石橋をたたいて、さらに渡らない」というような性格は、彼の生涯を貫きます。
実は、ピアノソナタ第1番も、最初のピアノソナタではなく、「第4番」と書かれた筆跡が消されたとおぼしきあとがあります。さらに、作曲の途中で行き詰まり、現在「第2番」となっているピアノソナタがその間に着手されたということも分かっています。彼は試行錯誤を重ね、推敲に推敲を重ねて、ピアノソナタ第1番を、出版する最初の作品としたのです。
実際、それ以前のブラームスの作品を知る、盟友でヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムなどは、もっとたくさんのブラームスの作品リストを持っていたようですが、その中でブラームスが出版に値するとした作品は、わずか数曲だったのです。
しかし、この慎重な性格ゆえ、ブラームスは、「ぶれない強さ」を身に着けていたのです。このピアノソナタが、ブラームスの尊敬する先輩作曲家、ロベルト・シューマンの目に留まると、シューマンはその才能に感激し、彼が活発に批評活動を行っていた雑誌で、「新しき道」と題する記事を書き、ブラームスを大いにほめたたえたのです。