後半は「日本文学史入門」
本書後半で、著者は、仏教由来という「地獄の思想」をベースに、日本文学に表れるその思想を解説する。「地獄」すなわち「生の暗部、苦しみ」を凝視する営みを表現しているとして俎上にあるのは、源氏物語、平家物語、世阿弥、近松門左衛門、宮沢賢治、太宰治。
仏教解説と同様、歯切れの良い、分かりやすい解説だ。これもまた、決めつけが過ぎるとの批判を受けそうな記述が多いのだが、主観的な決めつけというものは、得てして読んでいて面白いものなのである。古典をもう一度読み直したくなってくる。前半と対比すれば、後半は『日本文学史入門』であり、本書の真骨頂はここにあると評者は思う。
この文学案内を読んでいくと、文学が人生における苦しみを表現すれば、それは地獄の思想である、という、これまたいささか短絡的な指摘が散見される。宮沢賢治のような仏教徒の書いたものはいざ知らず、それ以外の生の苦しみを全て仏教に帰するのは如何か。日本人の死生観に仏教が影響を与えたことは確かだろうが、苦しみそのものが文学のテーマにならぬはずがなく、このことは仏教を知らぬ西洋にあっても同じだ。地獄という他の文明でも普遍的な存在を、仏教的な存在に矮小化し、日本文学に当てはめる。著者のいう「地獄」は、このギャップのために、逆に仏教から離れて独り歩きを始める。
だが、さればこそ、著者の「地獄」は、より生々しく現世的なものとして迫ってくる。本書の味わいもそこにある。著者自身がその地獄に苦しんだであろうことが示唆されていることは、本書解説も述べるとおりである。生きることは苦しみである。修養不足の評者は、この点は強く同意したい。
それにしても、「地獄」というおどろおどろしい概念を「思想」という語で昇華させた、本書の表題は巧みという他ない。本書が往時大いに売れた所以は、やはりその表題の故だろう。
高度成長期という時代の空気は、その時流に乗った表題を持つ本書を、そしてその著者の存在を押し上げていったのだろう。本書は、一つの時代を画した読み物として、その空気を証言する存在となっていくのかも知れない。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)