「平和なアルザス」を願って
マスネは、1870年普仏戦争が勃発すると、従軍していました。皇帝ナポレオン3世自らが捕虜になるという、いわば「フランスぼろ負け」の戦争で、その結果、アルザス地方は新生ドイツに割譲されてしまいます。つまり、1889年、マスネがこの曲組曲第7番を書いたとき、アルザスはフランスではなかったのです。
しかし、普仏戦争中、アルザス地方に滞在したマスネは、その時の記憶をもとに、平和なアルザスの日曜日の一日を描きます。曲は4楽章に分かれ、「日曜日の朝」「酒場で」「菩提樹の下で」「日曜日の夕方」とタイトルがつけられています。
フランスとドイツのはざまで揺れたアルザス地方は、欧州議会が中心都市ストラスブールに置かれたり、と欧州統合の象徴的一面も持ちつつ、しかし他方で、両大国の間で揺れた悲しい歴史もあります。最近でも、テロが起こってクリスマスマーケットが中止されたり、ユダヤ系の人の墓が荒らされたり、という事件が起こりました。
マスネは、おそらく、「平和なアルザス」を願って、アルザスの民謡を曲に取り入れたりしています。ヨーロッパの十字路といわれたアルザス地方をモチーフにした、心が穏やかになる名曲です。そして、マスネの作品の中でも代表的な作品として、頻繁に演奏されています。
本田聖嗣