■「逝きし世の面影」(渡辺京二著、平凡社)
九州の地方大学で日本文化論・西洋文化論を担当していた著者は、昭和の意味を問うなら、開国から明治維新の意味を問わなければならないと考え幕末から明治初期の日本文化の形跡を探った。そして、文化人類学が教えるとおり、異文化の人から見て日本文化の特質を浮き彫りにするという手法をとったのである。
イザベラ・バード、ラフカディオ・ハーンをはじめ、日本文化の記録と印象を残した人物は多い。本書は、陽気なひとびと、親和と礼節、子どもの楽園、信仰と祭など14章に分けて、彼らの叙述を抜粋し、著者の解説をつけくわえている。2005年に出版されているが新鮮な印象を持ちながら、日本文化の豊かさを実感しながら読み通せる。
江戸時代の幕藩体制が築き上げたもの
「長崎の町でもっとも印象的なことは、男も女も子どもも、みんな幸せそうで満足そうに見えることであった。個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているようにみえることは、驚くべき事実である」(Sherard Osborn)。
「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、よりよい国になることは確かだろう。しかし昨日の日本がそうであったように、『素朴で絵のように美しい国』になることは決してあるまい」(Walter Weston)。
西洋化の幕開けの直前の日本は、速見融氏が勤勉革命と名づけた江戸幕藩体制のもとで、物質の豊かさや個人の利益よりも、気立てがよく、よく笑い、農業であれ、商工業であれ、毎日を明るく過ごす精神性と、その快適さに驚嘆し、地上の楽園という表現も用いられている。
「お寺に近づくとお経のような合唱が聞こえる。労働者が大勢で巻揚機をまわして材木を吊げていた。大工は原始的な工具を使い、剃刀のような刃のついた道具だけで、木材の表面を削り取り、創意工夫で指物をつくりあげる」(Edward Morse)。
この時期の民衆は、時間の価値を知らない半面、仲間と働く共生のよろこびを第一に考えていた。より多くの成果や利益を追求することはしなかった。暑さ、寒さ、雨、祭りのときは言い訳をして働かなかった。資本家、使用者からみればいまひとつかもしれないが、労働を苦痛ではなく喜びとして向き合うからこそ、気立てがよい、礼節をまもる心のゆとりがあったのかもしれない。
子どもたちと女性
初代英国公使オールコック(Sir Rutherford Alcock)は、日本を「子どもの楽園」となづけた。世界中で日本ほど子どもが親切に取り扱われ、深い注意が子どもたちに払われる国はないと。親の最大の関心事は子どもの教育であり、子どもは他人からのお菓子は親の許しがなければ決して受け取らないし、ゲームの規則は必ず守り疑問が生じた場合は年長の子どもの裁定にしたがう。
こうした親子関係は、先に述べた労働のあり方と違って日本文化の特徴をいまも残しているのかもしれない。
女性が有能で力を発揮していることもこの当時からである。庶民や農村の女性の地位は、支配階級の妻よりもかえって高く、仕事にも貢献し、夫の相談相手にもなるし、意見も取り上げられていた。一家の財布は当時から女性が預かっていた。
「逝きし世の面影」という題名は、何を伝えようとしているのか。
明治維新後の富国強兵政策によって、それ以前の精神風土は大きく変わってしまったと嘆いているのか。あるいは、自然と日月の運行を尊び「豊かな森」を愛した日本はこれから続けることができるのか。
世界ではSDGs(持続可能な開発目標)が共通の目標となっているが、いま日本を訪れる外国人は、日本はSDGsをほぼ達成しているという印象をもつという。将来の日本の姿を考えるときに、ときに150年前の日本の姿に思いをいたす。そうした読み方もおすすめである。
<経済官庁 ドラえもんの妻>