東洋経済(2月2日号)の「アーティストに学ぶ超一流の仕事術」で、芸術系にも強い経営コンサルタント山口周さんが、ジャズトランぺット奏者のマイルス・デイヴィス(1926-1991)を語っている。日本では「モダンジャズの帝王」とも呼ばれる大御所だ。
「1959年にリリースされたマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』は、ジャズ史上最も売れたアルバムで、60年を経た現在でも、いまだに『最も売れているジャズアルバム』です。本コラムの読者に『聴いたことがない』という人がいらっしゃったとしても、きっとどこかで一度は耳にしたことがある名アルバムですから...」
この冒頭からどう自己啓発論に持っていくのか、興味津々で読み進める。
上記アルバムに代表される抑制のきいたトーン、まさにマイルスの特徴だ。
「その『クールさ』が、マイルスの弱点から着想を得た産物であった...なぜ『強み』と『弱み』が表裏一体になっているのか? ということをご説明します」
1950年代、ジャズの世界では「難易度の高い派手なフレージングを吹きまくるスタイル」...いわゆる「ビバップ」が受けていた。代表的なのはサックス奏者のジョン・コルトレーン(1926-1967)である。その点、マイルスは「うまい」プレーヤーではなかったという。当時としてはハンディだったが、彼は同い年のコルトレーンとは競い合わなかった。
「むしろ吹きまくれない弱みを武器にするべく、抑制の効いた『間』を自分の音楽に取り込んで、ビバップに血道を上げるほかのプレーヤーから自分を差別化することができたのです」
今風の言葉でいえば、「自己をプロデュースした」ということだ。
「弱み」を「強み」に変える
マイルスの生涯に通底するのは「自分がカッコよく見える音楽をやる」こと。
「流行に身を寄せていくのではなく、自分が得意なものに流行のほうを引き寄せるのです...そして生み出されたのが、傑作『カインド・オブ・ブルー』だったのです」
筆者は、多数のアイドルを世に出したつんく♂さんに聞いた話を紹介する。デビュー前の卵たちは自らを周囲と比べて弱みを悔やむが、本当に大切なのはユニークさを強みとしていかに伸ばすかだと。
「つまり、プロデューサーの仕事というのは、『弱みを矯正する』ことではなく、『どうすれば、この子の弱みをユニークな強みとして伸ばせるのだろうか』を考えることだというんですね。これは人材育成においても重要な考え方なんです」
しかし、角を矯めて牛を殺すような失敗が多いという。山口さんが例示したのは、イチローの「振り子打法」を矯正しようとしたオリックス時代の監督だ。
「『指導者』といわれる人は、こういうことをやる傾向があります...皆さんのユニークな特徴を『強み』と捉えられずに、矯正すべき『弱み』だと考えて、それを無理やりにでも改めさせようとしてさまざまな意地悪をしてくる人たちです」
イチローは我が道を進み、幸いにもよき理解者となった新監督の仰木彬(1935-2005)に巡り合う。あなたも自己中心的な上司には警戒を怠らず、抗い、自分の強みを守り抜こう。これが山口さんから読者へのメッセージである。