「名字研究家」として知られる森岡浩氏に語ってもらった「ニッポンの名字」シリーズ第2弾。今回のテーマは、ありそうでない「幽霊名字」だ。
「ある」ことの証明は簡単、「ない」ことの証明は極めて困難
「『幽霊名字』をご存じでしょうか? これは、1998年に刊行した『日本人の名字なるほどオモシロ事典』(日本実業出版社)で、私が提唱したものです」
と話す森岡氏。「幽霊名字」って、何じゃ、そりゃ??
「例えば『東西南北』と書いて『よもひろ(世の中が広いという意味)』さん、『春夏秋冬』と書いて『ひととせ(1年という意味)』さんは、インターネット等でまことしやかに存在するようにも書かれていますが、『実在しない』というのが私の結論です」
いわゆる「都市伝説的名字」ということだ。
続けて、
「『ある名字が本当に存在する』ということを証明するのは比較的、簡単です。実例を1つだけ示せばいいのですから。ある程度、公的な職業に就いている人がいれば、本名であることを確認した上で、その人を例として挙げれば問題ないわけです。特に著名人がいない場合は『〇〇地方に多い』とか、地域を限定して示すこともできる。それでも疑問が残る人なら、その地域に行って、電話帳を調べるなりすれば、確認ができます」
なるほど。まぁ、そこまでして調べようとは思わないが、さすが名字研究家の第1人者である。さらに森岡氏は、
「しかし、特定の名字が『存在しない』ということを証明するのは大変です。『日本人1憶2000万人の名字をすべて調べたが、1つもなかった』ということを示さなければならないので。個人情報保護法が制定されている今、個人、あるいは1企業が、日本人全員の戸籍を閲覧して確認する...ということは、事実上、不可能です」
ふむ、ふむ。ここまでくると「名字の話」というよりは「数学的ロジック」に近い。
「鼻の短いゾウ」「宇宙人はいるのか?」と同じ理屈
そう言えば昔、「鼻の短いゾウ」の話を聞いたことがあった。その個体が「いない」ことを証明するためには、世界中のゾウをすべからく調べなくてはならない。また「宇宙人はいるのか?」という問いにも近いかもしれない。「いる」というのなら、その1例を示せば済む。しかし「いない」証明は、130億光年にわたるすべての銀河を調べなければならない...という話だ。
森岡氏は、
「ですから、仮に誰かが『自分は、その名字を見た!』と主張すれば、誰もそれを完全に否定することはできません。できることとしては、いろいろ状況証拠を積み重ねて『本当は存在しないのでは?』というところが限度です。このあたりが幽霊の目撃談に似ているため、私は『幽霊名字』と呼ぶようにしました」
でも、なぜ「東西南北(よもひろ)」さん、「春夏秋冬(ひととせ)」さんといった名字が、存在する根拠なしに本やインターネットで堂々と紹介されているのだろうか?
「大きく分けて2つの理由がありますが、両方とも意外に単純です。1つは『名字事典』の傾向にあります。珍しい名字を多数収録した書籍はたくさん出ていますが、近年では『収録数の多さ』を競う傾向が強くなっています。要するに『多い方が勝ち』的な風潮となり『名字を吟味して収録数を絞るよりは、怪しくても多い方が売れる』と、事典の編集者も考えているのです。とんでもない大誤解ですけどね」
う~ん...。同じ執筆を生業とする記者としては、何とも耳の痛い話である。
「もう1つの理由は『苦情処理』です。未収録の名字があると、本人や関係者から厳しいお叱りがきます。でも、幽霊名字を掲載しても、本人からは苦情は来ません。だって、存在しないんですから。つまり編集者としては『安心して』掲載することができるのです」
森岡氏が「東西南北(よもひろ)」さんと「春夏秋冬(ひととせ)」さんは「実在せず」の結論に至ったのは、本当にいるなら名乗り出てきても不思議はないはずなのに、これまで一度も「存在確認」が出来ていない点にあるようだ。
「一」と書いて「にのまえ」さん、いらっしゃったら連絡を!
代表的な「幽霊名字」としては、
・「東西南北」=よもひろ
・「春夏秋冬」=ひととせ
・「六月一日」=うりはり
※「四月一日」=わたぬき、「八月一日」=ほづみは存在する
だが、森岡氏をもってしても「幽霊と実在をさまよっている名字がある」という。それが「一」と書いて「にのまえ」さんだ。
「『一』という名字については『いち』『かず』『はじめ』というところは、私も確認しています。しかし『一』と書いて『にのまえ(=二の前だから)』さんは、タレントの芸名でしか確認できていません。しかし『実際に見た』という方も結構います。名字の調査というのは『幽霊名字』との戦いでもあるんですよね」