著作権がさらに厳しくなる時代 「音楽の父と母」について考える

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自作を何とか繰り返し舞台に上げたいという強い意志

   バッハとヘンデルの場合は、上記のように、立場や、活躍地の違いがかなりありますが、おそらく、2人ともに「作品を埋もれさせたくない」という共通した思いもあったはずです。クラシック音楽、という過去の音楽を聴くジャンルはメンデルスゾーンあたりが提唱して出来上がった習慣で、この時代は「音楽は消費して終わり」という感覚が支配的でした。したがって、バッハにもヘンデルにも、「あの曲やフレーズを1回限りで、お蔵入りにするのはもったいない」という思いがあったはずなのです。そのために、2人とも、他人の作品もですが、自作の転用・・この時代には録音はもちろんありませんから、演奏してもらわないと音にならないのでした・・・を繰り返して、そのたびに「新作」として、自慢の作品たちを何回も演奏してもらうことを切実に感じていたからこその行為だったように思われます。

   もちろん、他人の作品も、自作の転用も、この2人ですからただ「コピペ」をするようなことはせず、調を変えたり、編成を変えたり、歌詞を変えたりして、その場にふさわしい編曲といえるような改変をしているのですが、構造的には同じ曲を形を変えて別の作品としている曲を見ると、自作を何とか繰り返し舞台に上げたいという強い意志が感じられます。

   ちなみに作曲とは、英語でもフランス語でも「コンポジション」といいますが、「構造物を構成すること」というラテン語が語源です。つまり、要素のオリジナリティーよりも、それを「再構成する」意味合いに振れている表現だ、と言ってもよいわけで、著作権法の感覚がそもそもないバロック時代の感覚としては、この二人の「剽窃」行為は、作曲に含まれる一つのあたりまえの行為、だったのかもしれません。そして、古い時代の音楽を扱うクラシック音楽においては、いつも現代的な著作権の考え方と相いれないような、なんとなく居心地の悪さを感じてしまうのは、この辺りに原因があるのかもしれません。

   一方でクラシック音楽は、作曲家の没後50年・・・今年から70年になりました・・以上たったものが多いので、作品自体はパブリック・ドメインとなったものが多く、最近のコマーシャル・BGMの音楽などを見ても、少しずつクラシック音楽が使われる割合が多くなっているのを見るにつけ、現代の「新しい音楽」の行方を少し不安に感じてしまいます。

   著作権保護は、作曲者の死後の一定期間も大切かもしれませんが、「生み出されたばかりの作品の世の中への送り出し」も手助けする存在であってほしいと願うばかりです。ちょうど、バッハやヘンデルが懸命に自作転用をやって、自作を世に出そうとしたように。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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