先週に引き続いて、著作権について考えてしまいました。昨年末に日本で施行された「著作権者死後の保護期間20年延長」につづいて、著作権法の改正論議が、国の審議会で進んでいます。主に、インターネットのダウンロードに関してです。今まで違法とされていたのは、P2Pソフトなどを念頭に置いた映像と音楽に限られていたのですが、漫画やソフトウエアなど、すべてのものに拡大する、というものです。
これは、違法な漫画掲載サイトなどの取り締まりを念頭に置いた改正なのでしょうが、広く解釈すると、「スクリーンショットを撮っただけで違法」となる可能性があるもので、ウエブ上のものを、パーソナルなコンピューターのブラウザで表示する、というネット閲覧行為が、「著作権法違反すれすれ」となってしまう危険性もはらんでいます。審議会を受けて文化庁が検討し国会に改正案を提出する段階で「特に悪質なものに罰則を科す」ということになりそうですが、年々厳しくなっていきますね。おそらく全体としては、知的財産権に関する、世界の大国同士の摩擦からくる副産物なのでしょうが、完ぺきなものがコピーできるデジタル文化が成立し始めた時から、こういった著作権法論議はもっと進めておいたほうが良かったような気がします。
「剽窃」の名人だった
音楽の面でいえば、先週も触れたように、年々息苦しさを感じる状況がつづいています。ネットの普及とともに、特に映像よりもアップロード&ダウンロードしやすい音楽はコンテンツとしての無料利用がすすみ、制作者側が貧しくなってゆく・・・という全体的な流れがあるために、音楽教室での練習やレッスンまで「公衆への送信」とされて徴収の対象となったり、自分の体験でいえば、著作権者である作曲者が、自作曲を演奏家に演奏してもらうときに、「著作権管理団体に、自分の曲を演奏してもらうためにそれなりに高額な著作権料を支払うのだが、著作権者である自分にはほとんど分配がない」という問題に直面し、特に商業利用の少ないクラシック音楽において作曲者が「著作権放棄」(演奏してもらうために、自分は著作権料を受け取らない代わりに、演奏者にも請求しない)という事態に追い込まれていることなどが問題だと感じています。
先週は、バッハのメヌエットを取り上げましたが、「音楽の父」と呼ばれるバッハと、それに付随して「音楽の母」と呼ばれる、ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル(英国に帰化してからジョージ・フレデリック・ハンデル)の2人に、もし、現代の著作権の感覚、または取り締まりがあったら、おびただしく作品数が減ってしまうことをご存知でしょうか。
実は、二人とも「剽窃」の名人だったのです。「盗用」と言い換えたら、より悪質に見えますが、他人の作品の一部を持ってくる場合と、自作の別の作品から一部またはそっくり転用する、ということをかなり行っています。ヘンデルの剽窃は、他人の作品も多く、当時から問題視されていたようですが、バッハのほうは自作の転用も多い、ということもあり、あまり大げさにあげつらわれてはいません。
これには、いくつもの事情があります。バッハの場合は、先週取り上げたように、自分や家族の勉強であったために、「家庭内消費」ととらえられるということ。それに彼は他人の作品を自作として発表することよりも、自分がかつて作った曲、主に、「世俗カンタータ」と呼ばれる作品群を、のちのラテン語ベースの「ミサ曲」などに作り替えたケースが多いということです。ヘンデルの場合は、自作の転用も、他人作品の借用も、バッハより格段に多く、指摘できないほど膨大なのですが、ドイツの地方からほとんど動かなかったバッハと違って、先進国イタリアに学び、大都会ロンドンで活躍したヘンデルは、「大ヒット流行作曲家」であるだけでなく、指揮者、プロデューサー、コーディネーター、etcと様々な役割を、音楽が日々消費される都市で生み出さねばならず、ものすごいスピードで作品を書き上げる必要があった、ということです。