「生存確認」なら不要では
私も2019年の新春のご挨拶を遠慮した。はやりの「賀状じまい」ではなく、親類に不祝儀があったためだが、何を隠そう、できれば「生存確認」のような年賀状はもうやめようかと思っている一人ではある。
あれは40歳前後の数年間だったか、賀状のデザインに凝ったことがある。プリントゴッコで不細工な「寅」を大量生産し、取材先などに送り付けたのは1998年の正月だった。勤務地が目まぐるしく変わった時期でもあり、住所変更の案内を兼ねていたように思う。
その年代までは、届く賀状にも転職あり、結婚あり、子ども誕生あり、異動ありと、なにがしかのニュースを含むものが多かった。それが50を過ぎたころから「こちらは相変わらずです」「ぼちぼちやっています」みたいな文面が互いに増える。親の介護話や、老後の趣味を並べたようなものも混じりはじめ、「そろそろいいか」と思い始めた次第である。
急に習慣を変えてはいけない? 大丈夫、すでに十年ほどかけて賀状の数を減らしてきたからだ。あとは「卒業」を内外に告知するのみ。で、この場をお借りして宣言する。
冨永 格