タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
日本の音楽シーンで"プロデュ―サー"という言葉が一般的になったのは90年代に入ってからだろう。そのきっかけとなったのがダンスミュージックで一世を風靡したTKこと小室哲哉であることは言うまでもない。同じ時代にモーニング娘。を手掛けたつんく♂やMr.Childrenの小林武史、更にAKB48の秋元康らの絶大な影響力もあって、平成はプロデューサーの時代となった。
とは言え、彼らから始まったかというとそうではない。今年が音楽活動50周年という音楽プロデューサー、瀬尾一三について触れないわけにはいかない。
「こんなに正論を言う人なのか」
2019年1月30日、「時代を創った名曲たち2~瀬尾一三作品集SUPER digest」が発売になった。2017年の11月に発売され、アーティスト本人名義ではない企画アルバムとしては異例の万を超すヒットとなった前作の続編として発売されたものだ。そこには"プロデュースとは何なのか"ということの普遍的な答えが綴られているようだった。
どんな曲が入っているか。前作の「1」は二枚組、吉田拓郎の「落陽」に始まり、かぐや姫の「22歳の別れ」、山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」、かまやつひろしの「我が良き友よ」、バンバンの「いちご白書をもう一度」からCHAGE&ASKAの「万里の河」、徳永英明の「壊れかけのRadio」、中島みゆきの「糸」、ももいろクローバーZの「泣いてもいいんだよ」など26曲。「2」は、ハイファイセットの「中央フリーウェイ」や風の「海風」、西城秀樹の「聖・少女」、長渕剛の「乾杯~NEW RECORDING VERSION」、工藤静香の「雪・月・花」や中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」など17曲。こうした企画アルバムには収録されたことのない有名曲も多い。
瀬尾一三は何と言っても中島みゆきの音楽プロデューサー、ステージの舞台監督やアレンジャーとして知られている。彼女を通して存在を知ったという人は多いはずだ。
彼が中島みゆきを手掛けるようになったのは88年のアルバム「グッバイガール」からだ。それまで邦洋を問わずアルバム毎に試行錯誤的にアレンジャーを起用していた中島みゆきにとってはその後の活動を決定づける出会いとなった。彼と出会ったことで生まれた新しい試みが89年から始まった「夜会」である。今年も1月30日に新作「夜会Vol.20 リトル・トーキョー」が開幕した。30年間の不動のコンビは、プロデューサー・アーティストのいた関係としても特筆されなければいけない。
瀬尾一三は彼女について、筆者のインタビューに「みんなが大変だよとか手ごわいよとか言ってくれたんですけど、会って話したら全くそうじゃなかった。こんなに正論を言う人なのかと思ったのが最初です」