■『実験マクロ経済学』(川越敏司、小川一仁、佐々木俊一郎著 東洋経済新報社)
『実験マクロ経済学』(2014年)は、我が国の実験経済学者の手によってまとめられた、実験経済学、なかでもマクロ経済学上の仮説を検証するために実験を用いた実例を編んだ教科書である。本書は、マクロ経済学の主だった仮説の概説から書き起こし、実験を通じたそれら仮説の検証へと話を進めている。マクロ経済学の入門、あるいは、既修者の復習用としても用いることのできるよう工夫されている。
実験を通じてマクロ経済学の仮説を検証する
様々な仮説がマクロ経済学では提唱されている。本書で俎上に乗せられているものから抜粋すると、ライフサイクル仮説(消費)、リカードの中立命題(財政政策)、裁量的政策とルールに基づく政策の優劣(金融政策)、購買力平価説(国際経済学)などについては、経済学履修者でなくとも、多くの方が耳にしたことがあるだろう。これら仮説を検証したければ、計量経済学の手法を用いて実証するのが習いであった。実際の経済の振る舞いを記述した経済統計を用いて、その妥当性を検証するのである。十分なデータを得るため、時系列、あるいは諸外国のデータを参照して分析がおこなわれる。このような実際の経済の振る舞いから、仮説が妥当なものとされることがあれば、疑義が呈される場合もある。疑義が呈されても落胆することはない。それもひとつの発見として、新たな理論発展への契機として用いていくのである。
このような実証分析を補完する手法として、実験室で仮説に準じた設定をつくり、所要のインセンティブ(典型的には金銭による報酬)を与えた被験者の振る舞いを観察することで、仮説の検証をおこなうのが、実験(マクロ)経済学である。ライフサイクル仮説によるならば、ボーナスや遺産相続などの追加的所得は、支給の方法如何を問わず、ごくわずかだけ消費を増やすことになるはずである。しかしながら、実験室での質問を通じて、この仮説が妥当しないことが明らかにされる。本書は、この不整合を説明するために提唱されている「行動ライフサイクル仮説」にまで筆を進めている。実証分析でおこなわれていた、仮説の検証からその見直しという一連の過程を、実験を通じても、おこなうことができる次第である。
腑に落ちない実験も研究の一里塚である
読者にとっては、本書の紹介する、すべての実験が腑に落ちるものとは限らないかもしれない。例えば、リカードの中立命題を検証した実験の説明に充てられた章がある。この命題によると、国債発行で得られた収入を用いて財政政策をおこなう場合、人々が将来の増税を予想し、それに備えるために、現在の消費を少なくし、貯蓄を増やそうとする。世代間でこれを敷衍すると、親世代が子世代の利害を考えて遺産を残すなら、公債の負担が子世代に影響することはないことになる。この命題を検証したCadsby&Frankの実験では、一定の効用関数を親役の被験者と子役の被験者に与えている。親役が(子役の所得から償還される)公債を発行するとして、その消費と貯蓄がどう変化するか検証している。彼らの検証結果は、リカードの中立命題が成立するというものであった。
ただ、ここで親役に与えられた効用関数は、(1期の親の消費)×(2期の親の消費)×(2期の子の消費)×(3期の子の消費)というものであった。親にこの効用関数を与えてしまうと、親役は子役の効用を自分の効用と同等に扱うから、親役の振る舞いは、正しく計算できる限りにおいて、リカードの中立命題に沿ったものになるほかない。実際の経済というものを考えるなら、親の効用関数に「(2期の子の消費)×(3期の子の消費)」が入っているかどうかが疑わしく、このことこそがひとつの問題になるのである。Cadsby & Frankの研究をもって、リカードの中立命題の妥当性が確かめられたというには、飛躍が存在するようにみえる。実際、(時期的にはCadsby & Frankよりも古いものであるが)Kotlikoffほかによる特定の効用関数を与えない実験的研究では、リカードの中立命題は支持されていない
もっとも、このような腑に落ちない事例の存在は、実験マクロ経済学の弱点というよりは強みとみることができる。前提となる設定がシンプルでかつ公開されているからこそ、その批判的検討が可能になるのである。腑に落ちない実験も研究の一里塚、一層優れた研究の導線にしていくことができる。『実験マクロ経済学』を通じ、様々な応用の可能性を持つこの分野の社会的認知が高まることを期待したい。
注)リカードの中立命題に関するくだりに興味をそそられた読者は、Cadsby& Frank (1991). Experimental tests of Ricardian equivalence. Kotlikoff, Samuelson & Johnson (1988). Consumption, computation mistakes and fiscal policy.に直接当たってみてもよい。本評を機に、実験経済学をいちから学びたいと思い至った読者には、本評で紹介した『マクロ』と併せ、同著者たちによる『実験ミクロ経済学』が有益である。
経済官庁 Repugnant Conclusion