Tarzan(1月24日号)の「感覚的身体論」で、講談師の神田松之丞さんが芸の基本をカラダに叩き込む日常を記している。やはりキホンあってのアドリブらしい。
松之丞さんは35歳。講談界が久しく待ったスターである。話芸に収まらないスケールが注目され、独演会のチケットは即日完売、メディアへの登場も目立つ。
「オーケストラなんかだと本番前に音合わせしますよね。講談は一人芸ということもありリハーサルは一切ありません」。冒頭で、講談師の慌ただしい日常が明かされる。寄席の楽屋に駆け込み、10分もしないうちに高座に上がるなど日常茶飯事だという。
「自分のカラダからどんな音が出るか、その場にならないとわからない」
演目がプログラムで決まっている席は1割、多くは高座で枕を語りながら、お客の様子や自分の体調を考え併せて決めているそうだ。意外に重要なのが会場のイス。
「ふかふかで、もたれかかってゆっくり見ることができるイスだと、少し長い話や、難しい話をやってもお客さまがついてきてくれます。人情噺をやるには、環境が快適なほうがいいんです。逆に、もたれかかれないイスのときは滑稽な話をやったほうがウケる」
もちろん、いちばん大切なのは演者自身の身体感覚である。
「私は『押す芸』で大きな声を出すのが持ち味ですが、年に1回ぐらい風邪をひいたら大きな声が出ないので小さい声でやるんです。得意技を封じられて小さい声で会場を支配して客席を引っ張っていく。これは普段より集中力が問われます」
そんな席では「引く芸」ができるネタを選ぶ。本調子でない時こそ、いい勉強になる。
まず真似るのが伝統芸
入門した若手の講談師がまず習うのは、武田信玄と徳川家康の対決を描いた「三方ヶ原軍記」。一字一句の字面だけでなく、これで講談独特のリズムを体にしみ込ませるそうだ。
「声を張ること、緩急をつけること、呼吸を掴むこと、体力をつけること...読みながら息を継ぐタイミングで張り扇を叩く...うまい人になると息継ぎの間隔が長いから、ずっと50mプール潜水して戻ってくるように、なかなか張り扇を打ちません」
松之丞さんの持ちネタは140から150。いろんな覚え方をしたが、結局、一言一句を疎かにしない、つまり基本をしっかり踏まえる手法が一番強いという結論に達した。
いまは神田愛山さんに借りたテープを朝から晩まで聞き込み、口調を真似るような稽古をしているそうだ。それを台本に書き起こすと、さんざん聞き込んでいるので、語尾の上げ下げなど音符がついているように見えるという。
「そうやって覚えて人前でやると自然にね、アドリブでちょっと変わってくるんですよ。面白いくすぐりでお客さまが笑うと、これは台本に入れようと思って書き込む...人の呼吸を真似るのは大変なんですが、そこをやらないと伝統芸能じゃないので...」
自信が育てる大器
あらゆる表現者は誰かのマネから始めて、誰のマネでもないオリジナルを目ざす。書く、描く、語る、歌う、踊る、奏でる、演じる、操る、創る、魅せる...分野は違っても、一流の表現者は自分にしかできない境地に行き着いて、いちおうの完成をみる。
ハードルが低い...ゆえに競争も激しい「書く」という表現法にしても、プロとして習熟するまでには基本を固め、それを乗り越える努力が要る。
「語る」もハードルは高くないが、だからこそアマチュアのレベルと一線を画すのは楽ではない。話がうまいだけの人はいくらでもいる。
一見型破りな松之丞さんも、基本を外さない努力を日々重ねていると知り、どこか安堵した。一流表現者の多くがそうであるように、天賦の才はあろう。それを開花させるには、基本の身体化と、お客との緊張状態(本番)の場数を重ねるしかない。
過日の朝日紙面に、長老の芸能評論家、矢野誠一さんがこんな評を寄せていた。
〈松之丞の高座に触れるのは確かこれが4度目になるが、その度ごとに大物感が増しているのは、人気に支えられた自信のせいだろう...精いっぱいラッパを吹こうとする姿勢に好感が持てた。久々に現れたこの大器、順調に育って欲しいと思う〉
努力で大きくなり、自信でまた大きくなる。
冨永 格