自信が育てる大器
あらゆる表現者は誰かのマネから始めて、誰のマネでもないオリジナルを目ざす。書く、描く、語る、歌う、踊る、奏でる、演じる、操る、創る、魅せる...分野は違っても、一流の表現者は自分にしかできない境地に行き着いて、いちおうの完成をみる。
ハードルが低い...ゆえに競争も激しい「書く」という表現法にしても、プロとして習熟するまでには基本を固め、それを乗り越える努力が要る。
「語る」もハードルは高くないが、だからこそアマチュアのレベルと一線を画すのは楽ではない。話がうまいだけの人はいくらでもいる。
一見型破りな松之丞さんも、基本を外さない努力を日々重ねていると知り、どこか安堵した。一流表現者の多くがそうであるように、天賦の才はあろう。それを開花させるには、基本の身体化と、お客との緊張状態(本番)の場数を重ねるしかない。
過日の朝日紙面に、長老の芸能評論家、矢野誠一さんがこんな評を寄せていた。
〈松之丞の高座に触れるのは確かこれが4度目になるが、その度ごとに大物感が増しているのは、人気に支えられた自信のせいだろう...精いっぱいラッパを吹こうとする姿勢に好感が持てた。久々に現れたこの大器、順調に育って欲しいと思う〉
努力で大きくなり、自信でまた大きくなる。
冨永 格