米国の音楽シーンを彩った「ラグタイム」
そのアンセルメから、ストラヴィンスキーは、新大陸の米国の音楽のことを聞いていました。19世紀後半に、米国の黒人音楽にルーツを持つといわれるピアノ音楽・・・「ラグタイム」がブームとなり、代表作「エンターティナー」などで知られるスコット・ジョプリンなどによって、大量に「ラグタイム」は作曲されたのです。ジャズの前身の一つ、といわれるラグタイムは、不思議なことに、第一次大戦まででその最盛期を終え、以後はぱったりと顧みられなくなりますが、シンコペーションと呼ばれる特徴的なリズムを持った「ラグタイム」は、フランスのベル・エポックの時期と重なるように、米国の音楽シーンを彩ったのです。
ストラヴィンスキーは、アンセルメによってもたらされたラグタイムの楽譜や、新興国米国のミンストレル・ショーなどが流行していたパリで、来仏していた楽団の演奏にも何回か接していました。そして、ピアニスト、ルービンシュタインへの返礼として、彼は「ピアノ・ラグ・ミュージック」を作曲することになるのです。
完成したのは1919年、今からちょうど100年前のことでした。初演は別のピアニストによってスイスで行われましたが、のちに米国にわたることになるストラヴィンスキーが、祖国ロシアと決別したこの時期に、まだ見ぬ「米国」の音楽に刺激を受けて作曲した、異色の、どこかユーモラスな作品です。
本田聖嗣