■「政治を再建する、いくつかの方法~政治制度から考える」(大山礼子著、日本経済新聞出版社)
政府が2018年12月21日に閣議決定した2019年度予算案について、政権に対して好意的な論評が比較的多い読売新聞でも、22日付朝刊社説の見出しは、「異例の景気対策で100兆超えた」とし、「財政再建への道筋があいまいだ」という批判的なものであった。
「日本の政治がおかしい」今、私たちがすべきこと
最近、日本国憲法第9条の解釈をめぐり、集団安全保障や集団自衛権は日本国憲法がそもそも前提にしている国際秩序から当然認められているものであるとの論陣を張る篠田英朗・東京外国語大学大学院国際学研究院教授(専攻:国際関係論・平和構築。1968年生まれ)は、2015年に世に問うた好著「国際紛争を読み解く五つの視座」(講談社)のあとがきで、「膨大な国債を発行しつづけ、バブルに酔いしれた人びとこそが、あいかわらず既得権益の維持を目指し、『事業仕分けで手放した失地の回復』のために国庫から資金を引き出すことに狂奔している。子ども・孫・その後の数世代に空前の負債を背負わせつづけようとする世代こそが、『民主主義』や『法的安定性』の名の下に、自分の意見に付きしたがう若者や中年だけを重用できる社会を夢見つづけている」という。そして、「紛争後社会を研究していると痛感するのは、ひとたび大きな社会変動が起こればもろくも崩れさる社会システムであっても、崩れるまではその永続性を前提にして人間は生きたがるものだ」とする。
人口減少、財政赤字、旧来型の災害対策などの現状について「日本の政治がおかしい、政策決定がうまくいかない―。多くの有権者が感じている。原因は何か」を、「日本の困難は人災である」と喝破し、この国の政治の「構造問題」を分析し、解決策を探った渾身の1冊、大山礼子・駒澤大学法学部教授(専攻:政治制度論)が著した「政治を再建する、いくつかの方法―政治制度から考える」(日本経済新聞出版社)が先ごろ公刊された。大山氏の岩波新書「日本の国会」(2011年)については、2013年4月掲載の「『日程国会』でブラック企業並み? 疲弊し辞めていく若手・中堅の苦悩」と題した当コラムで紹介したことがある。
大山氏は、新著のまえがきで、「このまま、旧来型の政策を続けていくことは不可能だとわかっているはずなのに、政策の革新は進まない」とし、「今、必要なのは、私たち自身がこれからの政治のあるべき姿を考えていくことではないだろうか」という。そして、政治制度についての的確な国際比較やこれまでの研究の到達点を踏まえて、切れ味鋭い考察がわかりやすく示される。
「第1章 首相は大統領より強い?」では、議院内閣制をとった場合、議会の多数派を占めた党首が首相となることから、権力が融合することにより、大統領と議会が分立する大統領制より強い首相が出現することが可能であるとする。ただし、「第2章 国会審議は無意味?」で巧みに示されるように、日本の首相・内閣には、国会審議を主導し、自らが主導した法案を可決に導く権限が欠けている。「第3章 無能な議員が多すぎる?」、「第4章 選挙が政治をダメにする?」を通じて、国民を適切に代表するはずの国会議員・地方議員が、ガラパゴス化した選挙制度などに起因してそうなっておらず、それが政治不信や国民・住民意識とかけ離れた政策形成を生んでいることを説得的に論じている。「第5章 権力をチェックするのは誰?」では、それを期待されている参議院・司法権、国民の政治参加に触れ、期待通りにならない所以を探る。
政権交代後の成り行きがもたらした幻滅と失望
大山氏は、国民が政治制度の改革に関心を失った理由の1つとして、1990年代の一連の政治改革が期待されたような成果を生まなかったことにあるのかもしれないという。2009年の政権交代は、改革の到達点とも思われたが、その後の成り行きは国民に幻滅と失望しかもたらさなかった。
この状況を、行政学の観点から分析した好著が、牧原出著「崩れる政治を立て直す―21世紀の日本行政改革論」(講談社 2018年9月)だ。牧原氏は、現在東大先端科学技術センター教授で、すぐれた行政学の業績を上げている気鋭の行政学者である。彼は、これまでの改革が、改革した制度が作動するかどうかまできちんと目配りをする必要性を強く指摘する。「改革学」から「作動学」へ、というのだ。
平成の世になされた様々な改革の苦い経験を踏まえて、新時代に向けてまた歩みを進めるために、年末年始にこれらの著作をぜひ手に取って各自が自ら考えてみてほしいと願う。
経済官庁 AK