2018年は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシーの没後100年のメモリアル・イヤーでした。
今日は、そんな彼の最後の歌曲作品をとりあげましょう。近代フランス音楽を大いに興隆させたドビュッシーは、他の芸術分野や外国の文化にも幅広く興味を示し、さまざまな詩人の作品に曲をつけて歌曲を作ったり、詩の世界にインスピレーションを得て名曲「牧神の午後への前奏曲」を作曲したりと、フランスのアイデンティティそのものともいえる「フランス語」に大いにこだわった作曲家でした。
しかし、最後の歌曲作品は、他人の詩ではなく、ドビュッシー本人の作詞によるものです。題名は「もう家がない子どもたちのクリスマス」です。
フランスの未来への希望、現実の大人たちへの怒り
1910年代、ドビュッシーの晩年、すでに彼はオーケストラ作品「海」やオペラ「ペレアスとメリザンド」そして、「月の光」に代表されるようなピアノ曲などによって、音楽の新しい世界を切り開いた、名実ともにフランスを代表する作曲家となっていました。
しかし1914年、彼が愛した祖国フランスは、未曽有の大戦争、第一次世界大戦に巻き込まれます。隣の強国ドイツと争うことになったフランスは、国内で激しい戦闘がおこり、多くの人が犠牲になりました。
作曲家として功成り名遂げてはいましたが、最後の結婚相手が豪奢な生活を好み、生活は決して楽ではなく、また、ドビュッシー自身も死の病となった直腸がんにおかされはじめていた1916年、そのような状況下でも、彼は怒りに燃えて、この歌曲を書き下ろします。
「私たちにはもう家がない!敵がみな奪い去ってしまった!私たちのちっちゃなベッドさえも!学校も先生もあいつらは焼き尽くした!教会もイエス様もあいつらは焼き尽くした!そして、逃げることのできない、貧しいお爺さんたちまで!」・・という激烈な歌詞で始まるこの歌は、後期のドビュッシーらしい、高踏的も言えるようなハーモニーがつけられていますが、だんだんと激しくなり、「クリスマス!メリークリスマス!やつらの家には訪れることなく、やつらをどうか罰してください!」とフランス語でクリスマスを表す「ノエル」という言葉が現れるところは強い調子になります。
おそらく、当時パリにいたドビュッシーにとっては、毎日聞く戦場の悲惨さは他人事でなかったのでしょう。そして、最後の結婚で、初めての子どもに恵まれたドビュッシーは、自身の娘と、フランスの未来に対しての希望と現実の大人たちへの怒りを込めて、子どもたちを主人公としたこの歌を書き上げたのかもしれません。
歌曲はこう終わります。「クリスマス!神様、どうぞお聞きください!私たちには、もう履く木靴さえないけれど、どうかフランスの子どもたちに、勝利をお与えください!」
心を痛めながら書いた1曲
フランスは最終的には戦勝国となりましたが、信じがたい数の人々が命を落とし、国内には毒ガスや不発弾などで21世紀の現在でも立ち入り禁止の地域を抱え、・・と深刻な傷跡を残します。「ベル・エポック」の時代は、過ぎ去ってしまうのです。そして、さらにこの悲惨な戦争を終わらせた講和条約が、ご存知のように、さらに悲惨な第二次世界大戦の遠因となるのです。
ドビュッシー没後100年の今年は、第一次大戦休戦から100年ちょうどの年でもありました。
ドビュッシーが心を痛めながら書いたこの曲をクリスマスに聴いて、平和が、音楽にとっても、クリスマスにとっても、そして何より子どもたちにとって大切なのだ、ということを噛み締めたいと思います。
本田聖嗣