未来とは人間にとってどのようなものか
本書でカーネマンは山のようなバイアスの例を、系統立てて説明している。そのいずれも興味深いものである。ヒトがどのような間に合わせのシステムを身につけてきたのか、その詳細が明かされるにつれ、個人的経験に照らして納得するとともに、進化の過程で編み出された成果物の驚異に目を開かされる。
バイアスの全体像については本書に委ねるとして、ここでは、未来にかかわる意思決定、とりわけ不確実性を人間がどのように処理しているかについて触れておきたい。カーネマンによると、人間にとっては、100%と95%、0%と5%の間には、単に確率の目盛り5%分以上の大きな違いがあるという。重大な手術が失敗する確率が5%でもあれば、我々は心配でいたたまれなくなり、5%の失敗の可能性をなくすためなら、いくらでも追加費用を払ってもよい気持ちになる。カーネマンによると、システム1は確率を扱うのが苦手で、期待効用理論の想定するような振る舞いはとても期待できないようである。
我々人間にとって未来とは、なんとも理解のむつかしい難物である。未来とは、現在を生きる我々だけで決めるものではなく、我々の決定を引き継ぐ未来の人々によってもその姿を変えるものである。我々の決定のなかには、たやすく時間の経過に紛れて、その影響が消えてしまうものがあれば、未来の人々によっても容易には撤回できない性質を持つ決定がある。津波防潮堤の高さの決定や原子力発電所の建設の決定といった類の課題の例である。確率の理解ができないという認知上の欠陥を抱えた、我々人間にとって、このような課題を適切に処理すること、特に多くの一般市民の理解を得る必要のある公共的決定として処理することは、いささか骨の折れる作業となるであろう。
経済官庁 Repugnant Conclusion