警察力の充実と銃規制
犯罪の抑止は容易なことではないが、ペトロシーノ率いるイタリア系捜査隊の戦術は巧妙あるいは大胆なものであった。
受刑者になりすまして同房の者から共犯者情報を聞き出すかと思えば、違法を承知で犯罪者を追い詰め殴り倒すことで、ニューヨークから出ていかざるを得ないようにすることもあった。1990年代のジュリアーノ・ニューヨーク市長によるゼロ・トレランス(軽微な犯罪も徹底して取り締まる厳罰化方針)の先駆けとでも言うべきか。
犯罪者が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する、社会秩序が崩壊した状況下で、人権擁護をどこまで貫徹しうるか。権力の暴走を食い止める以前に、権力自体が揺らいでいるとき、生身の暴力に生身の暴力で対抗する事態をどう評価するべきか。
麻薬犯の即時射殺を許可して物議をかもすフィリピンのドゥテルテ大統領が、それでも支持率を維持している所以は、社会の安寧を確保することの重要性を雄弁に物語るが、冤罪で無辜(むこ)の民が突然射殺される不条理は放置されてしまう。
平穏な日本社会では想像もつかない相克である。
イタリア系捜査隊の不眠不休の努力があってもなお、ブラック・ハンドの脅迫は続き、被害者の一部は武装して対抗し始める。このくだりを読むと、米国の銃規制が進まない理由も理解できる。警察力による社会秩序の維持が実現しえなかった歴史があれば、市民の自衛が死活的な権利となっても不思議ではない。
我々はそんな米国社会を後進的と思わなくもない。とはいえ市民の武装解除は、そう簡単なことではない。
我が国はどう対処してきたか。太閤秀吉による刀狩りと、明治の廃刀令という二回の大規模な武装解除は、安寧な社会文化を我が国に定着させた。これは世界に誇るべき歴史だろう。それでもなお戦中期まで市井には相当量の武器はあったところ、それを一掃したのは他ならぬ米国、GHQの銃砲等所持禁止令であった。こちらは歴史の皮肉と言うべきだろうか。
百年前にブラック・ハンドが、その後マフィアが台頭した米国では、治安維持の試みは幾度となく頓挫してきた。米国警察には、現代のペトロシーノとも言うべき献身的な刑事も居ることだろう。だが個人の力には限界がある。警察力増強こそが銃規制強化の前提条件だが、そうした動きはどこまであろうか。そして米国社会は銃規制の完成まで、今後どれだけの犠牲者を積み重ね、どれだけの年月をかけなければならないのだろうか。
本書が示す米国史の一コマから、そうしたことも考えさせられる次第である。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)