長年の宮廷生活から自由になり、のびのびと
ザロモンが睨んだ通り、ハイドンのロンドンデビューはいずれも大成功でした。ハイドン自身、一晩の演奏会でもたらされるギャラの高額なことに驚き、「こんなことがあり得るのはロンドンだけである!」と書き残しています。
12曲の交響曲の最後の作品が 交響曲第104番 「ロンドン」です。本来ならば、12曲全部が「ロンドン」なはずですが、なぜかいちばん最後のこの作品だけが「ロンドン」の愛称で呼ばれています。明るいニ長調で書かれ、長年の宮廷生活から自由になり、のびのびとしたハイドンらしさが第1楽章から、最終第4楽章まであふれています。そして、この曲は、ハイドンの最後の交響曲となりました。
なぜなら、ハイドンはロンドンで、当時流行していたヘンデルのオラトリオを耳にし、大いに啓発されたからです。一時は居心地のよいロンドンに、ヘンデルのように帰化して定住することも考えたハイドンですが、最終的に大陸に戻ることを決断します。なぜなら、エステルハージー家の当主がまた交代し、再び音楽好きのニコラウス2世が就任して、宮廷楽団を再建したからです。ハイドンは長年親しんだ職場に宮廷楽長として舞い戻り、大規模なオラトリオ「天地創造」や「四季」などを作曲することを選んだのです。
ロンドンからの帰途、ボンで、ベートーヴェンという少年と出会ったハイドンは、ウィーンで、青年となった彼を弟子にすることになる・・・そんな出会いもありました。
ハイドンのロンドン行きは、定年後のまことに幸せな成功例、と言えましょう。ロンドンでがっぽり稼いだハイドンは、ウィーンにも大豪邸を建て、自宅内で音楽会を開くこともできたのです。交響曲「ロンドン」には、第2の人生を謳歌する、ハイドンの姿が重なって聞こえます。
本田聖嗣