たいらな世界 三浦しをんさんはレゴ遊びの年頃から「立体」が苦手

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   BAILA 12月号の「のっけから失礼します」で、作家の三浦しをんさんがご自身の、いわゆる空間認識力について告白している。集英社のファッション情報誌で、読者層の中心はアラサー女性、その巻頭を飾る連載エッセイである。

「『出張するたびに風邪を引くひと』になってしまい、生命力の衰えを感じる」

そう始まる冒頭は、実はテーマとは何の関係もない。週末に出張しては風邪をひき、治すのに1週間という巡りを繰り返している、という近況報告だ。プロゆえに許される文章のアソビなので、形だけ真似ると(自戒を込めてだが)大惨事になりうる。そして本題である。

「とはいえ風邪の合間を縫い、友だちと会って遊んだりもしていた。友人には娘と息子(いずれも小学生)がいるのだが、子育ての話を聞いていて、『へえ』と思うことがあった」

その友人は、女の子らしく、男の子らしくといった規範が「反吐が出るほどきらい」な人だという。ところが、娘が塗り絵やキラキラのアイドルが好きなのに対し、息子のほうはレゴブロックを組み立て、ゴツゴツしたロボットで遊ぶのが好き。この現実に直面した友人は、やはり性別で興味の対象が違うのか、と思い始めたそうだ。

   「性別によって、興味を抱く対象にちがいがあるらしい、という大まかな傾向は見受けられるってことだね」。そう確認する三浦さんに、友人は「性別でひとを分類するなど愚の骨頂、という信念が崩れ去る気がして、やや敗北感を覚えるのだが...」と返すのだった。

   ここまでが導入部分で、いよいよ核心に向かう。

  • 子どもの頃、レゴブロックで遊んだ人は多いのでは
    子どもの頃、レゴブロックで遊んだ人は多いのでは
  • 子どもの頃、レゴブロックで遊んだ人は多いのでは

レゴで作った間取り図

   三浦さんは友人に打ち明ける。

「その話で思い出したんだけど、そういえば私も子どものころ、レゴの意味がわからなかった...レゴってさ、土台になる薄い板があるじゃない...私はあの土台に、レゴブロックを一段だけはめこんで、『理想の家』の間取りを作ってた...『立体』という概念が理解できなかったんだろうね。ていうか、いまも理解できていない自信がある!」

上記は三浦さんが友人に話した内容である。さらに自分にダメを押すかのように...

「とにかく、世界を平面でしか把握できない。おかげさまで漫画を読むのは得意。映画は、最近の3Dはダメだね。すぐ酔うし、画面に奥行き感が出ると情報量が多すぎて、なにがなにやらわけがわかんない」

「子どものころから、『レゴって妙にブロックが余るなあ。間取り図はもう完成したし、残りをなにに使えばいいんだろ』と困惑してたけど、それでもなんとか暮らしていけてるから、大丈夫!」...このまま終わると、「女の子はレゴが苦手」というヘンな結論になりかねないが、三浦さんは呆れ笑いの友人の言葉を結語に持ってくる。

「あんたの立体感覚のなさ、女性とか男性とか関係なく、たぶん人類でぶっちぎりの一位だよ。やっぱり性別じゃなく、個性というかグラデーションなんだね。なんだか希望を持てたよ、ありがとう!」

男女差と学習機会

   オーストラリア人作家による「話を聞かない男、地図が読めない女」がベストセラーになったのは2002年だったか。

   「男性の方が空間を認識する能力が高いのは、太古の昔、狩りに必要な能力だったから」といった言説には賛否があり、私個人は懐疑的である。他方、事実として身近な女性にはいわゆる方向音痴が多くて、クルマの運転が上手い人もごく限られる。

   たぶん、男女で大まかな傾向はあるのだろうが、三浦さんのお友だちが言うように、性差より個人差のほうが大きいのではないか。話を聞く男性も多いし、地図が読める女性もたくさんいる。ちなみにどちらが欠けても、タクシー運転手やジャーナリストは満足に務まらないだろう。

   まとめれば、得手不得手は後天的な学習機会の問題、好き嫌いもしかり。そして万事は有為転変、ということになる。

   私事にわたるが、3歳の孫娘は色は青が好き、ファミレスでもらえるオモチャも人形や首飾りより自動車か飛行機、という「個性」である...いまのところ。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)

コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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