もう書くしかない
鴻上さんの一文を読んで印象深かったのは、やはりツイッターの拡散力と非常時の活用法である。もちろんスマホが手元に残り、かつ、それなりのフォロワーがいる場合に限られようが、迷い犬や盗難自転車の告知と同様、「助け舟求む」の効力は侮れない。
ちなみに、ロンドンから全世界にSOSを送った鴻上尚史アカウントのフォロワーは4万強。SOSといっても、〈いきなり、一文なしになっちまったぜ。どうする。さあ、どうすんだ、俺!? いきなりドラマチックだぜい〉と、文面にはいささか余裕が感じられる。
私にも経験があるのだが、物書きの悲しいサガといおうか、突然の苦難や試練が身に降りかかるたびに「あ、これで何か書けるな」という下衆な思いが先に立つことがある。
いや、ロンドンの鴻上さんはもっと切実だったかもしれない。いずれにせよ、奇跡のような巡り合わせで知人の作家が近くに宿泊中だった。そしてマンションの前には、二人の再会を妨げる「インターホンの不運」やら「サマータイムのトリック」まで潜んでいたのだから、これを書かない手はない
。冨永 格