通常、クラシック音楽はバッハなどが活躍したバロック時代以降のレパートリーを扱うことが多いのですが、今日登場する人物は、さらにその前の時代、ルネサンス後期に分類される作曲家・演奏家です。「クラシック音楽のあけぼの」と言ってよい16世紀後半から17世紀に活躍した英国のジョン・ダウランドを取り上げます。
もっとも有名な作品は声楽曲「流れよ、我が涙」
ルネサンス時代、宮廷と庶民の音楽はかけ離れていました。そして宮廷で大流行していた楽器が「リュート」です。アラブ文化圏に登場した「ウード」という楽器が、東に伝えられると日本の「琵琶」などに変化しましたが、欧州に伝わって「リュート」となります。これは「ギター」の祖先でもあります。持ち運びができ、手軽にメロディーとハーモニーが演奏できるリュートは、ルネサンス時代の上流階級が最も好んだ楽器でした。
古い時代のことゆえ、正確にはわかっていないダウランドの前半生ですが、おそらく1563年にロンドンに生まれた彼は、リュート奏者として頭角を現します。当時のリュート奏者の最高の地位というと、当時のチューダー朝の宮廷楽師、すなわち「エリザベス女王お召し抱えの音楽家」というポストでした。腕がたつダウランドは当然その地位を狙いますが、彼の就職活動はうまくいきませんでした。英国国教会を奉ずるエリザベス朝にとって、おそらくカトリックだったダウランドの信教が問題となったようです。しかし、彼は海外に出て、デンマークのクリスチャンIV世に驚くほどの高給で雇われていますし、その間にもロンドンでは自作の出版活動をしているので、彼の実力と人気は並々ならぬものがあったことがうかがえます。
彼の作品でもっとも有名なものが、声楽曲「流れよ、我が涙」です。哀調を帯びたリュートの旋律に載せて歌われる歌は、当時の欧州で大流行したと伝わっています。ちょうど涙が流れてゆくような下降音型のメロディーや、歌詞は明るいのにそこはかとなく悲しさを漂わせるハーモニーなど、人々の日常の心の動きを描写したような音楽は、それまで、宗教的な教義を歌い、いわば「上から目線」だった音楽を、世俗的な、そしてとても人間的な表現に使った、ということで画期的な作品だったのです。
ちょうどそれは、1歳違いの同じ英国人が、文学で成し遂げたことと同じでした。同じエリザベス朝の時代、活躍したのはウィリアム・シェイクスピア。聖書の世界から離れることが困難だった演劇を、歴史劇の形を借りながらも、「私たちと同じ人間の心の葛藤」を描くことに大きく転換させたシェイクスピア作品は、400年後の現在でも古くなっていません。
同じく、同じルネサンス期の音楽でも、ダウランド以前の多声部音楽などを聴くと、現代との「時代の違い」を感じてしまいますが、ダウランドのこの曲に代表されるような「歌曲」は、現代に通じる情感を感じさせてくれます。そのため、スティングをはじめ、様々な現代のミュージシャンがダウランド作品をカヴァーしています。
秋から冬に向かうこの時期にしっとりと聴きたい、はるか昔の「新しい音楽」です。
本田聖嗣