新旧2つの「ランバッハ交響曲」
まだまだ2人の子が小さかった1769年、ヴォルフガングはまだ13歳の時ですが...子供たちを伴って、「音楽家としての売り込み旅行」を行っていたレオポルドは、ウィーンを襲ったペスト禍を避けるために一旦現在のチェコに避難しました。しかし結局子供たちはその地で罹患し、からくも2人とも病気より回復したあと、長年の旅路の疲れをいやすためもあり、故郷ザルツブルクに向かいます。ザルツブルグまであと80キロの地点、ランバッハのベネディクト派の修道院に宿泊し、そこで親子は、それぞれ交響曲を奉納したのです。はるかにのちの時代の1923年に筆写譜が発見され、表紙に「W.A.モーツァルト氏の作品」「L.モーツァルト氏の作品」と書いてあったので、それぞれ「旧ランバッハ交響曲」「新ランバッハ交響曲」と名付けられました。
ところが一時期、音楽学者の提唱によって、それぞれは表紙と逆で、より古風な形式で書かれている「旧ランバッハ」のほうが父レオポルドの作品、「新」のほうが、ヴォルフガングの作品とされた時代もありました。モーツァルトほどの作曲家になりますと、「全作品集」というような楽譜も企画されますから、そのたびに、曲が入れ替わったのです。
しかし、現在では、再び、「旧」のほうは、少年モーツァルトが、様々な形式を吸収するためにあえて書いた古風なシンフォニーで、「新」のほうが、表記通り、父レオポルドの作品ということで落ち着いたのです。同じト長調の交響曲を親子そろって、旅の途中の修道院に献納する、という行為があったことで、レオポルド・モーツァルトの交響曲が後世に伝えられることになりました。息子モーツァルトの作品と響きが似ている個所もたくさんありますが、やはりどこか違って単調に聴こえるような気がします。それでも、作曲家としては大成しなかった「父」の貴重な作品です。
本田聖嗣