■『熟議が壊れるとき』(キャス・サンスティーン著、勁草書房)
『熟議が壊れるとき』(2012年)は米国の法学者キャス・サンスティーンによる論文を邦訳し一書にまとめたものである。サンスティーンのことは、昨年(2017年)ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーとの共著『実践 行動経済学』を通じて知っている方も少なくないだろう。本書は、彼の固有の領域である法学に関するものであるが、熟議の機能の分析や、裁判官等の意思決定の費用の考察など、行動経済学的な知見が随所に生かされている。
熟議の意義と限界、そして処方箋
民主的な意思決定においては、皆の意見が合計されていることを重視する考えがある。これに対し、熟議を通じて個人の意見が変わることを重くみる考えがあり、サンスティーンはこちらの考えに立つ論者である(第2章「共和主義の復活を越えて」)。ただし、熟議はすればよいというものではない。第1章「熟議のトラブル?」は、熟議はむしろ意見の偏りの強化(極化)をもたらす場合のあることを繰り返し警告している。この事態に対する、サンスティーンの処方箋は、社会全体としてできる限り多様な意見に触れることのできる環境を保障することである。小さな集団では極化が生じやすいが、大きな集団では声を上げることのできないマイノリティーの意見形成に役立つことがあり、直ちに否定されるとはしていない。その上で、社会全体として意見の多様性を担保した熟議の場を確保することの重要性が説かれる。この処方箋は、前回の書評(「みなの意見がなぜ正しいのか、どういう時に正しいのか」)でみたスロウィッキーの主張と響きあうものがある。
決定のための道具のプラグマティックな取捨選択の重要性
サンスティーンの主張として、熟議の重視と並んで重要なものに、「司法ミニマリズム」という考えがある。司法ミニマリズムの要点を表すために、サンスティーンは連邦首席裁判官のジョン・ロバーツの次の言葉を引用している。
「思うに、事案を解決するにあたり、それ以上のことを決定する必要がないということは、むしろそれ以上のことを決定しない必要があるということだ」
サンスティーンによれば、うまく機能している憲法秩序とは、「完全には理論化されていない合意」を通じて問題を解決しようとするという。ある問題の処理に際して、その処理の内容については合意できるとしても、どうしてそのような処理になるのか、その理由を詰めだすと、人々の間に大きな違いがあることが明らかになることがある。この場合、司法ミニマリズムには、当座の問題を解決し前に進むうえで、一定のメリットがある。
第3章「司法ミニマリズムを越えて」は、このようなメリットを述べつつ、同時にサンスティーンは、司法ミニマリズムは、誤った合意をただす機会を逸することになるというデメリットがあることに注意を促している。
社会的決定に至るための道具は、状況次第でメリットをもつこともあれば、デメリットをもつこともある。本書の基本的なメッセージはこのようなものである。その上で、それぞれがどのような場合にメリットを発揮し、どのような時にそのデメリットが座視できないものとなるのか、汎用性の高い原則を抽出しようと試みている。
ともすれば、熟議が絶対であるとか、逆に民主主義で重要なのは利害の合計だけであるとか、司法は消極的であるべきとか、司法は正義の実現に積極的に関与すべきであるとか、なにかの端的な真理があるかのように語られることがある。本書はそのような立場から離れ、決定のための様々な道具があり、そのなかから状況に応じて優れた道具を使えばよい、というプラグマティックな勧告をおこなっている。
経済官庁 Repugnant Conclusion